つくば学園都市として知られる茨城県つくば市の旧市街地に蔵は有る。この蔵とお取引願いたく、つくば市へ赴いたのは30年位前と記憶する。デモシカ酒屋が何の知識も無く地酒屋の真似事を始めた。今現在からこうして振り返ると、
霧筑波・浦里ブランドで知る人ぞ知る存在の浦里酒造が特名酒主体の地酒蔵へと舵を切ったのが現社長(多分当時は専務か)の決断で1985年、つくば万博が開催された年である。今では地酒蔵の雄としての実力と実績を誰もが認める存在である。しかし当方が取引のお願いに伺った頃は特名酒主体の霧筑波立ち上げて10年も経っていなかった。地元の小売店さんですらうちとの取引をお待ち願うのに県外の小売店さんとお取引始めるのは「筋違い」とはっきり言われた記憶がある。事前にまず取引は出来ないと聞いていた。当時吟醸ブームのはしりで、少しでも名の知られた(当方の様な門外漢でも認知可能な)地酒蔵は原則として新規取引はお断りが建前であった。加えて秋田からとなると結構なハンデである事を県外の蔵訪問が重なるごとに分って来た。当時の秋田は県外移出が盛んであっても県外からの移入は皆無に近かった。「わざわざ秋田から遠い所を」とすら言われなく、酒を買ってくれない秋田(全体一般)を相手にする物かと言う雰囲気が今から回想すればプンプンした。本来門外漢で業界事情にも全く疎い当時の当方は文字通り「空気が読めなかった」のだ。もっとも、「KY」だからこそ秋田の常識を外れて県外の蔵に接触したんだろうと今振り返って思う。無知と言う事は時にトンデモ行動を引き起こすと言う好例である。斯く言う当方も此処の人間では無く美濃の産まれにして精神はダラシナもといデラシネである。美味い酒が飲みたいと言うスケベ根性一筋であった(現在も尚)。
霧筑波ブランドは10号酵母のオリジンたる小川酵母一筋である。原料米も地元契約の五百万石と地元一般米が主体である。吟醸酵母とはいえ昭和30年代のそれ。間違うとセメダインかと感じやすい酢エチ系酢イソの香り。酸味を嫌った頃(蔵内環境は当時まだ劣悪)に低酸と高香気で有名になった小川酵母は30年前ですら吟醸酵母としてはクラシックであった。
何処から見てもスペック上は「ジミ~~~。」流行りとかブレイクとかからは対極に位置した風合いである。とは言う物の弊店の定番として30年近く存在している事実は「実力」の証明である。気が付けば霧筑波をリピートするお客様がいる。黙って黙々とお買い上げ、変な例えであるが酒も地味ならその買われ方もじみである。そんな中で一つだけ「話題」に上がる製品がある。例年クリスマスの頃に新酒として上がる「初しぼりうす濁り」である。話題と言っても『そろそろ出るのかな。あれ癖になるよね』とお客様とかわす程度。規格は地元契約栽培の五百万石65%精米を小川酵母で醸す。全て本生。酒銘から判るとおりに滓がらみである。蔵元の話では地元の或る小売店は一度に300本も売るそうだ。それでも5年程前までは、本生の蔵内熟成が「波留起多里(はるきたり)」として初夏の頃まで存在した。要はブレイクしても貯蔵し寝かせる余裕はあった証拠である。一昨年の事である。恒例の「初絞り」が入荷。数日後、上槽した「初絞り」が蔵内で完売との連絡が。5年前くらいかサブ銘柄の「浦里」を造った。次期蔵元で現杜氏の浦里知可良氏のブランドである。SNSによる情報発信が結構響いているらしい。当方は古臭いブログしかやらず。ペケった―とかインスタなんとか、ラインとやらも無縁である。ではあるがお客様の話題に「浦里」がSNS絡みで上がって来る。「浦里」のうす濁りは発売即完売とか。これに引かれて主銘柄の霧筑波の滓絡み新酒生も動いたのか。
およそ流行という単語からは遥か向こうの酒質なのに不思議だなと思った。
今から思えば次期蔵元知可良氏が杜氏として新ブランド「浦里」を立ち上げてから微妙にではあるが確実に酒質のベースに変化があり、不覚にもそれを見逃していた。
2023年2024年と霧筑波(浦里酒造)の全国新酒鑑評会・関東信越酒類鑑評会・南部杜氏自醸酒清酒鑑評会と言う準公的清酒コンテストで尽く上位に入賞していた。当地で言えば「高清水」の御所野蔵の様な優秀な蔵ならこの位(と言うがベラボウである)の成績は珍しくない。毎年傾向と対策に抜かりなく且つ、ドアの開け閉めにまで神経をめぐらす厳密な環境管理(現実に見ると唖然とする程)の下なら可能と納得である。しかし、霧筑波の場合は「傾向と対策」の部分で圧倒的に「並外れている」事に改めて気が付いた。
次の記事で書く。

