「辛口 生」の続きである。ここからは「生」についてである。居酒屋でのオーダーの定番に「ナマ下さい」ってのがある。最近の三鶏のCMでは『うちの生はそんな尻軽じゃあないぜ』みたいなイメージで来る。当方はこれを藪睨みしながら、『何ほざく、偽生め』に続いて心の中で『生は危ないぜ、オカモト理研ゴム』
と高田渡の詩を。高田渡の行が理解できたあなた、我が同士だ。
話が逸れそうなので戻す。偽生である。日本酒で「生」と言う時は『火入れ処理無し』が一般的である。超大手の場合ミクロフィルターを通して酵母を除去するのか。酵母酵素の加熱による失活処理の無い事を「生」と称しているだけである。瓶や缶についている「生」表示の下に、細かい文字で「非加熱酒」と印刷されている。虚偽表示では無いと言いたいのだろう。まぁ上げ底のオッパイの類として嗤える。ビール醸造の詳細は知らないが出来立ての若酒は一定時間の熟成で香味を整える。この過程をラガーと呼ぶ。この期間中に麦酒の発酵がさらに進みバランスを崩さない様に酵母の活性を無くす。麦酒の場合はこの段階で既に酵素は失活しているんだっけか、多分そうだ。
マイクロブリュウワリ―と併設レストランで短期日で売り切れる様な環境なら「本生・LIVE」でも商品化できる。長期間の保存を考えなくてもよいからだ。
話は変わるがLIVEビールは味もさることながら整腸作用が良く効く。思うにビール酵母が腸に良いのだろう。それはさておいて「生」についてである。
当方の記憶に間違いがなけば、一般市販麦酒で最初に「生」をやったのはSDで一世を風靡?する前の「朝日麦酒」ではなかったか。当時の麦酒界のガリバーたるキリンはラガーが大前提で「生」への意識は有ったのかどうか。と書いている内に、フウテンの寅のリバイバル放送の食卓シーンを思い出した。サッポロビールのラガーが普通に卓上に有った。恐らく40年程前の一般市販麦酒は加熱処理のラガーが「当たり前・デフォ」だった。この項を書くにあたり、この国の「生ビール」について種々調べた。その結果、生ビールについての思考が纏まらない訳が判った。麦酒の「生」についての定義が不安定なのだ。原因は大手メーカーが自社製品の「生」イメージを有利に運ぼうと、裏からあれこれ工作したのだろう。単純に考えて「LIVE」と「NON LIVE」に分ければいいのだが、議論を見る限り加熱処理と非加熱処理の部分にメーカーが「価値観」を持っている様だ。
SDを興した「中興の祖」と評される樋口廣太郎が社長時代に麒麟ラガーを評して「燗冷まし」と蔑む発言を公にした。これに対してキリンビール側は有効な反論をしないどころかラガーを「生」にしてしまった。この段階で麒麟ラガーの敗退が決まった。醸造酒のパストライズ処理を「燗冷まし」と蔑む発言に日本酒業界もワイン業界も声を大きく反論しなかった。現在でも多くの一般市販清酒ワインは樋口の言う所の「燗冷まし」である。麦酒についての経験が無いので正確ではないが、清酒に関しては経験上本生より火入れ処理済(方法に由るが)の方が飲んで美味い。この感応は化学的にも一定の分析結果を持つ。本生酒とそれの瓶燗一回火入れとを3か月熟成させた。アミノ酸の量が火入れ酒の方が本生よりも多かった。酵素酵母の活性の或る酒より加熱により酵母酵素が失活した火入れ酒の方がアミノ酸を多く生成する事実が裏付けられた。感応としては味の奥行が出る、が当方の経験である。
この事実を同じ醸造酒である麦酒に類推してみるとどうなる。先ず酵母の失活方法において濾過と言う単純な力学作用と加熱処理という蛋白質の熱変性と言う化学的作用の二つを同列には置けない。清酒の生酒と瓶燗火入れ酒との比較事例の化学的分析や自己体験からして、醸造酒の加熱処理(パストライジング)を『燗冷まし』と揶揄する愚かさ。その張本人が麦酒メーカーの社長且つ「中興の祖」と褒められる現実。もっと情けない事には多くの醸造酒メーカーが反論しなかった事実である。敗戦以降の日本人の特技としての「強い者に靡く」現象である。
非加熱処理をして非難する訳ではない。商品市場における合理性はある。ただし、これを「生」と称し、お墨付きを与える似非構造は如何なものか。
歴史的に清酒文化を顧みる。冷蔵庫の無い時代の江戸時代である。新酒より熟成古酒の方が高く売られた。これを支える技術が「煮酒」である。俳句の季語で初夏を象徴する。清酒の風味保持の為に一定の加熱処理が季語にまでなる程技術として残っていた。ワインも清酒も「生」が麦酒程に市場において一般的では無い。ワインに至っては国産ワインの非加熱処理は当方の知る限り山形のタケダワイナリー位だ。外国産に至っては耳にした事も無い。原因は酒質の問題に本質が在ろうが、外国では自家消費する限り自家醸造が合法である事が大きいのでは。ワインはブドウ果汁を素人が絞ってそれを放置すれば冷涼な環境なら勝手にワインになる。ワイン自家醸造は清酒と比べて比較的安全に「湧く」。現場を見れば生ワインは各家の御勝手に直結した存在である。敢えて買う必要はない。
米由来の濁酒は「足が速い」ゆえ飲み頃期間は短い。結果火入れした方が長持ちする。
これ等の事情から醸造酒の本生の市場性が広がらないのだろう。こうして観ると、麦酒の「LIVE」が一般市場で普通に流通するのは限定的とならざるを得ない。にも拘らず「生」を堂々と謳いかつ火入れを「燗冷まし」と堕とし込んでシェアを競う。
「目の前を疑え」は現代生活に必須の生活態度ではなかろうか。
追伸
ビールの「生」でもっと検索すると最近の一般市場製品に結構な数で「生」表示の無い製品が有る事が判った。この辺りの事情に興味あるが守備範囲を超える。
CMがある種のお呪いだと言いたかった。


