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にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

脱線気味に一言。飛ぶ鳥を落とすが如き?勢いの参政党について。アルカリ党・反対党って名乗ってもおかしくない程出鱈目加減。党所属の弁護士が同党の憲法案について解説していたが、本当にまともに司法試験を通過したのか君はと言いたい程に法律論争以前の一般教養レベルの法知識すら展開できていない。

同党の憲法案の、主権は「国」にある、を言い換えると「国家意思の最終決定権者は国である」なのだがトートロジーで意味不明。一事が万事でたらめ。声がデカク露出が派手で目立つだけ、展開する論述の中身はからっぽ。正々堂々と騙しにかかる故騙しと気が付かない。こりゃ恐ろしいぞ、なもし。

で、本題へ。

生もと山廃系(生もと系に統一する)の酒母より圧倒的多くのそれは速醸系である。上槽までの期間が短縮でき且つ酒質も綺麗に仕上がる。普通に考えれば「道理」である。然り乍ら、市場には一定数の生モト系が存在する。「大七」は全量生モトが看板である。「麓井」も製品の大半が生モトである。速醸がメインの蔵でも一つか二つ生モト系の製品を持つ蔵もある。マーケティング的に「多様性の展開」の一環だろうか。大なんとかはいざ知らず(言葉が出ない)、良く出来た生モト系の酒は何処か迫力を感じさせる。

経験的に判ってはいたが科学的な根拠がある事は知らなかった。現在だから言える事だが、結果にこだわるあまりそれに至る過程に思考が行かなかったのだ。

具体的に述べる。解放タンクで造る日本酒の場合安全醸造の第一条件は雑菌対策である。その本質は乳酸酸性の獲得である事は既述した。天然の乳酸菌の侵入と繁殖に約1ヵ月費やすくらいなら出来合いの乳酸を添加する方が合理的、は道理と書いた。乳酸菌の侵入を待って乳酸発酵を誘発する過程で酒母モロミ中に何が起こっているのか。米由来の主たる脂肪酸は大きく分けてパルミチン酸とリノール酸である。乳酸生成過程における乳酸菌は主にリノール酸を利用する。結果として生酛の中の脂肪酸はパルミチン酸がメインとなる。その為酵母は主としてパルミチン酸を取り込んで生育する。速醸酒母の酵母はリノール酸とパルミチン酸双方を取り込んで生育する。パルミチン酸をメインとして取り込み生育した酵母はアルコール耐性が高い。結果は酒質にいかなる影響を及ぼすのか。議論の前提として、エティルアルコールは生物にとって「毒」である事実を認識しなくてはならない。コロナ禍を脱しきっていない我が国の日常に当たり前に存在する「アルコール消毒」の風景を思い出そう。清酒モロミ中の酵母はモロミ中のアル分が12%を超えてくると死に始める。しかし、生モト由来の酵母はアル分が上がっても穏やかに活動を続け着実にモロミ中の糖分を消費する。

結果として辛口に仕上がる。またモロミ末期でも死なないので菌体内から露出する成分が少なく綺麗な酒質になる。

これ等の理由から生元系の酒質の速醸系のそれに対する優位性を認められる故

現代に至っても生モト系の造りが生き残っている。酒造工程の合理化を超越するメリットがある。こう考えると生モト系の方に「バリュウ」が在るのでは。と安易に考えが向きそうである。

当方が酒屋になって5年も経た頃であろうか、当時の秋田清酒の製造部長であった角田篤氏の言葉が今も思い出される。

「良く出来た山廃は限りなく速醸に近く、良く出来た山廃は限りなく速醸に近い」

乳酸酸性と言う結果では無くそれに至る過程に注目する視点、速醸山廃に拘るのではなく強い酒母による健全な酵母と言う本質を外さない視点。

これらを現代の酒造技術で活かした結果が『酸基醴酛(さんきあまざけもと)である。浦里酒造の新ブランド「浦里」シリーズの「URAZATO PUROTOTYPE 5」である。


# by sasatatsu | 2025-08-14 14:42 | 酒の味 | Comments(0)

ウロウロと7月も明日でお仕舞である。昨年の兵庫県知事選挙、都知事選の石丸現象、つい先に有った参議院選挙、合州国の大統領がトランプに、そして奴が次々にリリースするSNSとそれに一々反応するマスコミ。10年前までなら想像すらできない混沌とした現状である。従来までなら政治現象として挙がってこなかった圧倒的多数であるサイレントマジョリティ(意識あると勝手に思い上がったマスコミと知識人はB層と呼ぶ)の意見が個々具体的に見えるようになった。双方向通信が可能なSNSという意見表明手段の発達と意見表明の簡明さが為す技である。個人の意見が公衆空間に出やすくなった所にその意見に対する個々の反応が具体的に現象化し、思うにSNSのポイント制が後押しして一つの潮流として可視化された。

いま目にする言論(とまで行かない単純な意見)と信頼性の保障が薄い映像(トランプ曰くフェイク)を前にして、ブログで物事を綴ることと寅さんの啖呵売の「啖呵」との本質的差異は何処にあるのか。言う所のおそらく「中二病である」。

当方は酒小売を生業とする。一般の向きより地酒に関しては詳しい筈。当然それらに関して感想や意見や新しい気が付き(発見と迄行かない)が出て来る。

それらを黙って抱え込むより世間の皆様に聞いて頂く方が「世の為」というか業界の為になるのでは。と思いながらも「中二病」とどう折り合いをつけるのか。

客観的事実と正確な論理で文章を綴ればなんとか納得が行くのでは。

ここ1ヵ月半程の間当方の頭に或る酒に関する事項が消えては浮かんでいる。

「酸基醴酛(ザンキアマザケモトと読む)」である。漢字の使用法からも想像できるが明治時代の終わり頃に考案された酒母の育成法の一つである。

酒の造りの括り方の一つに『生モト(酉扁に元で酛)・山廃』に対して『速醸』として分ける用法がある。用語を短縮して『生モト系・速醸系』とも言う。酒母の育成法の用語である。酒造りの初期の段階である純正酵母の培養段階として「酒母」造りがある。健全なモロミの育成に欠かせないのが純正酵母の圧倒的大量投与である。不良酵母が混入しても周りが圧倒的数の純正酵母なら不良酵母が働く余地が無い。健全な酒母を育成する大前提として酒母が育つ培地の環境が不健全な菌の汚染の無い無菌状態である必要がある。

その手段として乳酸菌による乳酸発酵で酸性環境を作りその酸による殺菌作用を呼び起こし、最終的には乳酸菌も自己が生成した酸で消滅してしまう。ここに無菌状態の「培地」が生成され、酸に耐性を持つ酵母菌だけが生き残り大量に培養されて「酒母」となる。

このメカニズムの概要が科学的に解ったのが明治時代末期である。岸五郎氏が解明した酒造りにおける乳酸発酵原理を基に1900年頃江田鎌次郎氏が乳酸の添加法を考えた。生もと造りでは1ヵ月係る工程を乳酸添加で約1週間に短縮した事から「速醸」と呼ばれる。

乳酸酸性による殺菌、圧倒的多数の純良酵母の育成と投与、今風に言うとバイオ工学を駆使した酒造りである。何が驚きかと言うと日本酒の醸造は大気中に解放された環境で行われる事だ。雑菌がうようよ居る環境で純良酵母だけが選ばれて培養されるメカニズムはバイオ工学的にも驚きである。それを経験的に実践してきた伝承の技術が生モト製法である。生モト系の本質を乳酸酸性の獲得による酸性環境の構築に求めれば、約1ヵ月を要する天然乳酸菌を取り込む方法より出来上がった乳酸を添加して1週間完成する速醸酛の方が合理的と考える。解放タンクが原則故酒母が完成する生もと系1か月は常に雑菌と接触する。他方速醸は雑菌による微妙な汚染が無く酒質も綺麗である。

現行の酒造過程で速醸が採用される根拠は此処にある。

では何故生モト山廃系が「生き残っているのか」は次項で。


# by sasatatsu | 2025-07-30 18:37 | 酒の味 | Comments(0)

SNSとやらが一般市民の情報交換手段として、10年前には想像すらできない程の異常な発達ぶりである。個人(工学的には1地点)から不特定多数へ情報の公開と言う意味では放送(broadcasting)と同じ、伝達と言う意味では出版(publishing)と同じとも言える。構造的かつ社会作用として決定的に違う事は

情報の伝達が双方向である事である。その意味においてNHKや民放TV局が自社番組のアーカイブ供給サービスを始めた事は誰も指摘しないがコペ転的現象である。情報の一方通行手段から交互通行可能手段への転換は情報交換現象としては次元が異なると評すべきだからである。

ここでだから何なんだと絡みたくなる。書いている本人がその気分故良くわかる。つい10年も前なら放送や出版を介しての情報は受け手に到着した段階で結構な割合で「信用出来る」「信用性の確実さ」が無条件に前提とされた。伝達された情報の信用性はその分野の専門家による分析で問題提示されない限り疑いの無い事、即ち「常識」とされた。

ことろがいきなり「疑え!」と騒がれ始めた。特に既存の情報発信源の情報につき「ホントか」。オールドメディアが持つ放送しない自由(編集権)の行使につき信用性特に公平性が疑われる様になった。この疑いに対してオールドメディアは、『情報リテラシィを持て』と一般市民に対し上から目線である。

SNS3行文化とメディアリテラシーとは本質的に相反する。SNS3行文化は論理では無く、3行文字とインパクトあるビジュアルの組み合わせによる所謂「脊髄反応」である。対してメディアリテラシーはその反応が論理的に正確かどうかを検証する作業である。そんなメンドクサクかったるい作業は一般受けしない故に金にならない。加えてそれなりの知的労働を要求される。

ネット社会において「一億総白痴化」が現象する構造である。その勢いと量が圧倒的すぎて「一億総白痴化」と叫んでも埋没するだけである。

こういう時にブログを書いて公表する意味は何だろう、ここ暫く考えていた。

いっその事本質に遡って考え直す事が肝要なのでは。本質に遡って考えるって何だろう。

例えばバイク等の二輪車はなぜ倒れる事無く直進や右左折が出来るのか。本質に遡れば机の上で転がる10円玉に行き着く。直進は慣性の法則であり安定的右左折は遠心力と向心力とのバランスである。50年前のワールドグランプリライダーの根本健はバイクの操縦法を「技術・技」と言わないで「ライディングテクノロジー」と表現した。技とは物理法則の理解と応用に他ならない。

地酒屋としてさぁどうする。

70を迎えて今更ながら中二病である。トホホ。


# by sasatatsu | 2025-07-13 16:32 | いいたい放題 | Comments(0)

気が付けば5月も下旬だ。ブログの更新が滞ってしまった。昨日或るお客様に「ブログがずーとお休みなんだけどどこか悪いの」と尋ねられた。「ウーーン失語症でね言葉が出ない」なんてお茶を濁した。

実は5月に入って原稿は5本も書いていた。作ってアップしようと思うのだが『いやチョと待てよ、なんか違うぞ。』で保存すればいいのだがそこまでの原稿かな、という気が在ってPC上に放置。と言うのが5本も積もった。どれか一つを取り敢えず「生きている証拠」でアップしようと朝一でPCに向かった。

えっ!何事が、となった。画面が真っ新でログイン状態。原稿は全て消えてしまった。近頃の当方の作業卓上は傍目に見てもごちゃごちゃである。従来ならごちゃごちゃなりにも「筋」があったのだが、整理しようにも手が付けられない。何が起こったのか。当地は11月から3月一杯日が照らず、湿度が高く低温が続く。

産まれてからこの環境なら問題ないのだが生憎当方の産まれは美濃は井ノ口、長良川で産湯、はないが進駐軍!(デッカイ黒人さん)が時々歩く川沿い(鵜飼いの観光本場)でおむつを洗っていた記憶がある。伊吹降しは冷たいがお日さまは燦燦と注ぎ眩しい程。そんな環境で育った故、謂う所の「季節性鬱病」なのだろう。今年は45月になっても曇天と雨が多い。地獄の冬を越してさあ、が来ない。当地へ流れて来た36年前、まだ若く体力も有った。この3年位で加齢による体力低下を実感できると同時に外の天気に体調が狂うようになった。

正月は冥土の旅の一里塚めでたくもあり目出度くも無し、と詠んだ一休禅師の気分を実感というより「体感」している。

この先10年、が有りうるかどうか。身近で感じる実感である。歳を取ると言う現実を前にして、さぁ如何しよう。が正直な気分である。


# by sasatatsu | 2025-05-22 14:39 | いいたい放題 | Comments(0)

AIをやぶにらみする

ここ2年位で急に使用頻度の上がった単語に「AI」がある。アイアイは猿だが

AIを訳すと人工知能となる。機械のくせに自律的に学習し、知識を組み立てるらしい。最近は検索エンジンもAIの補助でより詳しくなった(らしい)。人の脳細胞の繋がりを数値化して疑似脳のように働くらしい。個人の能力を圧倒的に超える量の情報を電子の速さでやり取りし組み立てる。100メートルのオリンピックチャンピオンもそれなりに調整されたバイクに負ける様な物だ。

世間の話しぶりだと思考においてヒトを凌駕するかのようだ。

果たしてそうなのか。例えば「闇夜のカラス」を理解できるか「白鳥入蘆花」も同様。虫の音に秋を感じられるか。を考えてしまう。酒で言えばバナナやパイナップル、リンゴやイチゴの香りと連想できるか。

情報の量の圧倒的多さと処理のスピードがアイアイの命というか「本質」と考える。最近の記事で気になる話を読んだ。同一のテーマでAI検索を掛けた時に英語で質問した時と日本語でした時とでは回答の内容が異なるらしい。何故こうなるのか。AIの本質は圧倒的量の「情報」である。全世界規模で存在する情報で日本語のそれと英語のそれの「量」を考える。日本の理科系大学でも多くの論文が英語で書かれると聞く。デファクトスタンダードとしての国際公用語が英語ゆえワールドワイドに公開される論文は事実上英語でないと機能しない(リファレンスしてもらえない)。国際的に見れば日本語は極東の極一部で発達した特殊言語に位置づけられよう。従って地球規模で観れば英語の情報と日本語の情報とでは英語情報の量が圧倒的に多い事になる。

AIによって従来の人間の仕事が奪われると警告される。その昔蒸気機関によって多くの手工業労働者が失業し社会問題となった。産業の効率化に伴い必ず発生する現象である。DXに伴うリスキリングと新聞の表題である。ぶっちゃけて「ロードシャの再教育」位の意味だろう。これを横文字使って表現する所に警戒が必要である。この国の支配層が被治者を騙す時に頻繁に文字を使うのが習わしである。誰の為の効率化という観点からAIを見る時の観点である。

しかし英語と日本語とでは情報の絶対量が違い過ぎてAI使用時の結果が異なるという日本語のディスアドバンテージについて議論されているのか。

とても基礎的かつ構造的問題である。昔なら数十年単位で構えればよかった問題だろうが、技術の進歩が級数的速さで進む時(シンギュラリティと表現したか?)大変な事になるのでは。十万円商品券でセージ問題をやっている事態ではないと思う。


# by sasatatsu | 2025-04-06 17:17 | いいたい放題 | Comments(0)