騙されてはいけないの2
2023年 08月 13日
前稿の続きだ。
今朝(8/12)から雨模様で沸夏は何とか猛暑へと。それでも異常である。最近のスポーツニュウスで気になる事がある。ラグビーとサッカーのビッグイベントを盛んに民放で番宣する。ラグビーと言いサッカーと言い当方が現役選手の頃の夏は大きな大会は無かったような。専ら秋も中ごろから冬にかけての競技じゃなかったか。真夏にマラソン大会をするのは問題があると先の東京五輪でも問題提起された。サッカー、ラグビーの運動量たるやそれなりにある。空調の利く室内競技ならまだしも、サッカーラグビーグランドを丸々収容して尚且つ万単位の観客を、となると室内競技場の建築は結構難しい。でっかい風船みたくに膨らますとか。TVを見ていたらナイターでやっていた。しかし、それだって湿気は馬鹿にならないほど高い。何があってこういう無理をさせるのか。熱中症がどうたらこうたら報道する一方で、『真夏にさあ、サッカー、ラグビー』。運動競技だが健康的でないと思うのだが、誰も言わない。と考えてくると、伝統的に『運動は不健康だ』の象徴があった。実は当たり前に存在する故、疑問を呈する事すら『非国民』扱いであろう。日本の夏キンチョウの夏、は風物詩足り得るが、夏のコーシエン、映像と音楽とブラバンの単純単調リズムで目隠しされるが、現地で球場に立てば熱中症危険度はレッドアラート。健康と言う観点から見れば「不健康の極み」である。何処かで筋肉脳が言いそうだ。鍛えてあるからダイジョ-ブイ。戦場の兵隊じゃあるまいし。おっとどっこい歴史的には兵隊の軍事教練が学校教育体育の主目的だった。その伝統を引き継いで?。甲子園球場で軍隊宜しく分列行進。選手の頭はクリクリ坊主。まんま軍隊ジャン。真夏に陽の照る炎天下の異常性もさることながら、甲子園出場校の選手の出自の怪しくないか。名門校には全国から生徒が集まると聞く。出場者のうち所属県をルーツに持つ人員はどれ程の割合か。学校は各県・地域を代表するのだろうが構成員足る部員の出自はどうなのか。なぜこれが問題にならないのか。
皆が楽しんでるのだから野暮な事は言いっこなし。と、当方の様な気質の人間ですらエアーで響く。圧倒的世論の圧力である。思うに太平洋戦争突入時の世論もこうだったのだろう。
世論形成と高校野球は朝日、毎日新聞とNHKの戦前からの工作で伝統芸の域である。ただし、此処まで価値観の多様性がキャンペーン文句ではなく事実として浸透してくるとモノカルチャーとしての野球はどうなのかな。大人社会の利権がらみで造られた構造そのものにひびが入るかも。此処でも言いたいのだ『騙されちゃあかんよ』。
国民の過半数がこんなものでしょう。
例に漏れず家の両親もこんなものでした。身内の言う言葉よりも世間の風説を信用する人達・・・。そんな中でも戦争(戦前から戦後まで)を知る祖母は違ってましたね。
事象を総括する好奇心(推測・検証)を持てるかでモノの見方は違ってくるのでしょう。
戦争は買っても負けても(戦後保証ビジネス)国民は疲弊するが、一部の受益者が一代で富を築く催し物です。
戦争を無くすということは、畑の雑草を抜く行為に似ているなぁと考えた敗戦日でした。
母国語の不自由なメディアが価値観を標榜し、多様性を謳う。スバラシイクニ、ニッポン。日本人には生き辛い国です。
返事が遅れました。生き辛いのは何故か。生活を科学すれば、事実をとおして真実に限りなく近づきます。真実は思うに我々を取り巻く矛盾の向こう側にある物です。物理法則がニュートン物理から量子物理へと進化するように真実も常に深まっていきます。きりが無いのです。ここに辛さの一因が。歴史を観ると真実に迫ろうとする行為の積み重ねで「自由」が広がっていくのではと感じます。商業マスコミの忖度行為で閉じられつつある表現の自由はその事実の解明を通してより深い自由へと。と思って酒について語るのです。

