袋香またはヤブタ臭の話しその1
2018年 03月 15日
『発行されて市中に流れる日銀券の一割が偽札で、それを密かに偽造して流通させているのが黒田東彦だとなったら、日本円と日本経済はどうなるだろうか。』
という解説に接した。たかが行政文書の書き換え、と言うレベルでは無い事が身近に実感できよう。
あまりの非常識が過ぎコメディかと思うほどだが厳正な事実であるようだ。それを我々の実生活に例えると冒頭の例え話である。
ABに求められるのは遵法レベルでは無く「李下に冠を正さず」と言う権力者として持つべき道徳心である。イホーな事は何も無いで,平然としている所に言いたかないがA級戦犯にして生き残りCIAのエージェントとなった・・・・。止めた、筆がけがれる。
酒の話しだ。
擦りガラスの向こう側、この風情が露骨に、欲情へと転換されるのがモザイックぼかしである。一時の事、このモザイックもほとんど形式と化し、なし崩しに「解禁」となるのではないか、と当方は予想(期待ではない)していた。其れについては前例があった。味蕾である。味蕾がどした。味蕾は医学的には「人毛」が進化した物らしい。と或る医学部教授が、その就任記念講義で「したのけのはなし」と予告ポスターに記載していたのを思い出す。要は味蕾は人毛由来であると言う講義内容をオチャラケタのだろう。当文書ではアンダーヘア(これはジャパングリッシュで正確にはシゲミと呼ぶ)の解禁事情に続くと予想していた。
まぁ、ニッポンをトリモロス運動の反動でモザイックは昔の水準に戻った。
例によって話が落ちた。擦りガラス、モザイック、隔靴掻痒とも表現する。
日本酒の風合いを述べる際に最も困るのが「ふくろ香」というやつである。当方がまだ地酒屋の駆け出しの頃である。一緒に入荷する酒を利き酒してもらうお仲間がいた。そこに共通のと或る感応があった。『農家の納屋にある藁束の様な匂い』であった。当時はこの匂いは山田錦特有のそれでは無いかと推測していた。
何処の蔵に関係なく山田使用の酒によく観察されたからである。この観察は今振り返れば『群盲評象』だった。単に山田錦の酒を多く利いていたための事で米の特性とは無縁だった。実は或る種の濾過臭で、一般的に「袋香」とか「ヤブタ臭」と呼ぶ。ワインでもプショネと呼ぶらしい。最近の研究では塩素系の物質が関係するカビ(真菌)が原因と判ってきた。
この匂いに自覚的となるとお酒本体の風合いが擦りガラス越しとなる。本来見えてはいけない物がボンヤリは風雅?であるが襞の一枚一枚を検める如く観察し五味の調和を、と言う時には癪に障る。擦りガラスやモザイックはお上の都合だが袋香は蔵の努力で消せる。というか在っては成らない。極論すれば1万円の大吟醸すら「スミ」をかけまくって普通酒へ落とさねばならない。これを実践する蔵はあまり聞かない。と言うより他言無用の事態である。
臭い匂いは基から断たねばダメとはCMのコピーである。その通りなのだが袋香の場合その原因の一端が真菌(カビ)である。あたかも癌細胞がリンパ管を通して全身に転移するが如く、ヤッカイである。更に輪を掛けて八海(やっかい)なのは袋香の評価については「有る」「無し」で終わらなく、これ位なら問題ないんじゃね、が通用する事実である。
当方の立場は、異臭である以上その有無が問題で程度問題とは考えない。努力でこれを防ぐ蔵が数多在るのだ。
5年掛けてこの問題と正面から取り組んだ蔵が有る。
この項続く。

