販売現場から「新政」を見る。その酒質から
2018年 01月 23日
続けて「新政」についてだ。
この酒というか「ロク」を求める向きはほとんど会話が無い。良く考えれば(でなくとも)当り前だのクラッカー(通じるかニャ)だ。彼らが求めるものは「6」と言うシンボルであってそのシンボルがどうしたこうしたでは無い。物理的な有無と購入可能かどうかが問題なのだ。そこに酒屋と会話する必要は無い。
小売としては有り難い事ではある。品物を置いておくだけで売れるのだ。熱心なお酒屋さんは色々工夫して他の酒の売り上げも連動すべく工夫をされるようだ。
当方は秋田で言う所の「だじゃくこきで、ひやみこき」ゆえ、出来るだけお求めの向きに広く行き渡るべく気を使うだけ。寅さんが演じる所の『さぁーもってけドロボー』状態である。その代わりと言っては何だが会話可能な分はさせていただく。隙有らばこう聞く、
「これ、美味しいですか」ちょいと考えれば変だ。不味い物に金を払うか。面白い反応がある。かなりの確立で
「知りません、頼まれて買いに来たんだモン」が多い。しかもX、S、Rを問わない。へぇーたのまれてねぇ。わざわざこんな変な店へ。に
「ココデナラ買えるって聞いたモン。」とか
「オトウサンの誕生祝いに」は、数パターン在ってオカーサンとか兄さんとか。
「県外の親戚から頼まれて秋田市なら買えるんじゃないかッテ。」
「県外の取引先から言われてね」
典型的な情報の非対称性現象である。ストレートに言ってマスゴミに煽られた向きである。なんて馬鹿にしてはいけない『お客様はかみさまだからして』。
どこが神様よテメーの書き方でと突っかかる向きも有ろう。貴重な情報をお金を頂きながらもらえる。オーマイガッ!は、違うか。
次、料飲店の関連者。お顔を拝見してご職業がわかると言う事は弊店のお酒、それも「6」以外をお求めの過去をお持ちである。
「どうっすかコレ、クイモンに合いますか」に「難しいね、食いもんに合わせる酒じゃねーな」とか「お客が欲しがるんでね、置くだけよ」が多い。とても真面目な女将さんがいた。電話で事前に取り扱いの有無を尋ね、もし入荷したら電話を頂けないかと。で、お電話差し上げた。ご来店で5円玉のついたお名刺を頂いたらしい(我が飼い主殿が)。それで2回目の入荷の際も電話でご案内差し上げた。
わざわざおいでくださり一言。
「家の料理には合わないです。せっかくお電話いただいたのに御免なさい。」と当方がお勧めした「市内では入手困難で安くて旨い酒」をお求めになった。それからどうしたかだが、ご来店は無い。ジュッチュウハックこれが標準だ。新しい酒にホイホイと、ゴキブリじゃあるまいし。ましてやお店のスタイルってものがある。或る意味でプロの矜持を見る。良く知っている料理屋さんは新政の唯一の一升瓶だけお持ちである。とても珍しいので、カウンター越しに「おいらにちゃぶだい」とやった。しばらくしてガラスのグラスに氷を浮かべて出てきた。
「ありゃ?ウイスキーちゃうで。アラマサのグリンやで」に
「ハイ、これがいっちゃん旨い呑み方です。」でホホーと頂く。
今は亡き多羅尾伴内こと大瀧詠一とシュガーベイブの、三ツ矢サイダー「シュシュッシュワーシュワシュワー サイダー」と頭の中でこだました。すげーセンスの持ち主だ。「○○と挟み・・・」とはこの事だ。
当方が知る、料理に携わる向きの大半は「食い物に会わない」。「まぁ単品でやる位か」である。実はプロでもない一般のお客様も「一度呑めばあとはいいです。でも、親戚が(知人が)欲しいと言うので買いに来た」と仰る。
これを消費の現場に映すと、多くの「アラマサ」の飲み手は言う所の『トライアルユーザー』で、かつ同一人物が『リピーター』となる確立は低い。換言すると需要が一巡した後の市場は縮小する可能性が大と言う事である。
さらに酒質の面でも憂慮すべき現象が見える。或る消費者の感想である、
「初めて飲み屋さんで開けて頂いた時は美味しかったのよ。でもね、他の日に別の飲み屋さんでいただいた時はエッって思ったの。」
「うーーん、気の抜けたビールかにゃ」に「そうそうそれ!」である。
抜栓後2日で呑み切らないとパンチに欠ける。まぁそれだから720mlなんだろう。
鑑評会の出品基準に「酸度1.0以上」とある。何故かだ。
酸っぱいと言う事は自然現象においては腐敗を疑うのが生物としての本能である。そして腐敗のうち人間に役立つ物を発酵と評価する。日本酒製造は発酵現象だから本能的に「酸」を嫌う。環境的にも雑菌との戦いで常に清潔を要求される醸造場において「酸」は原則として招かれざる客である。出品酒等は綺麗であろうとする余り、どんどん酸を減らしていった。その加熱を冷ます意味と「酸」は酒質において核心ゆえ忘れるなと。
十四代や○九が注目された一因は、淡麗辛口ブームにあって「サラリと旨口」というか、「くどく無いこってり味」を造った事に有る。
こうして見ると「新政」は甘酸っぱい(酸っぱいこってり味)という、流れを先取りしつつ派手目のガス感で化粧した。とくに意図的にガス感を生かした風合いが「目新しい」といえる。瓶内発酵のガスでは無い、蓋し発酵の種が無い、ところが長所であり決定的な!短所である。
新政の取り扱い再開を始めて実質的に半年を経た。出来るだけ主観を廃し、地酒マーケティング論に沿って観察してみた。
もっとも、既存のマーケティング論を超越した所でアラマサカかもしれない。であるなら石頭の過去脳の当方の出る幕では無い。アシカラズ、コホッ。
春の頒布会仕様計6本、夏の雨蛙、正月の限定酒、そして通年商品の中取り、木桶仕様、異端なんちゃらやヤマユのレア酒
そしてNEXT5の合同酒を毎年他店で買っていく訳ですから、ブームはそう簡単に終わらないんじゃないですかね。
自分は去年初めて雨蛙を買いましたが、開封しんどいし酒自体はちょっとアルコールが入ったカルピスレベルの酒だったので
新政幻想が覚めました(笑
何故「新政」を論じるのかですが、良い酒は良く売る事で良く育つと思うのです。アルコール入りカルピスが現段階ですが製造部は素人なりに研究し自分の頭で考えようとしております。現行の酒質には納得行かないのですが、彼らの未来を
応援してやりたいのです。
今期のゆき美6号を呑んだ時「山田錦のほうが若干旨味が強い、そして生酛作りのアドバンテージが感じられない」
と思いました。ゆき美の酒をベンチマークとするならどんなに腕を上げても「桃味の淡麗酒」以上の変化は望めないのでしょうか?
地米×六号の伸び代があるのか。新政酵母の出自がそれまでの暖地の酵母とは全く違い、(当時としては)貧栄養・低温経過による突然変異株と見ます。それ故現代酵母(吟醸酵母)のオリジン足り得たのでは。現代風に同じ様な醸造環境で酒造りをしようとする意図は六号を昇華させようと、深読みすぎますかね。

