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にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

秋田県の恥曝し佐竹知事の妄言騒動が巧妙な決着を付けつつある。秋田がTV画面で「御免なさい」とあの馬鹿知事が頭を下げる横で、四国を構成する各県が揃って御国産品のPRを「御免なさい秋田」を看板に巧みにニュウスとしてやってのけた。あれを民放のCMでやればいくらかかるだろう。佐竹がそこまで考えて演出したとすれば「蛙のションベン」と誉めてやろう。蛙のナントカって何だ、と首を傾げた善良な皆様、寅さんの口上に「結構毛だらけ猫灰だらけ、見上げたもんだよ屋根屋の・・・・大したもんだよ(田へした、と脳内変換)蛙の・・・」がある。そう、当方は大した玉だぜと褒めたのだ。

残念ながらありゃ救いがたい天然馬鹿、まぁあれで市長(秋田市)と知事(秋田県)が務まっている(かどうかは歴史が判断する)事が奇跡。といっても国政を司る代議士やそれを操る上級公務員の程度も最近モザイクが薄くなって真実が・・・、と考えるとこの国のエリートってコケオドシで「下町ロケット」が司つかさで我慢して支えているんじゃないかと・・・山田洋次的ほのぼの史観。

でやつがどれ程天然馬鹿かを表象するエピソードとして記憶では平成78年だった、自治体の役人が食糧費と称して税金を原資に言う所の高級料亭で頻繁に飲み食いを繰り返し県民の反発を買った。当時の県総務部副部長(記憶では)だった佐竹があっけらかんと「我われ(県職員)は一日で百万(二百だったかも)は普通に使います。」と恥じる事無く、何もウシロメタイ事は無いとラジオのインタビュウで話していた記憶がある。ほとんどの県民はこれを法螺話と思ったようだ。当地へきて7年目の当方、花見の季節の秋田人のデーハーな飲み食いに(酒小売故身近だった)半分感心しつつ、桜の名所千秋公園内にある料亭で宴席を設ければお一人様ウン万かにゃ、と思って居た。当時の秋田の飲食業界はあらゆる意味においてベラボウであった。例えば有名なと言うかここしかない繁華街川端の小さなスナック(指定された)で人待ちをしていた。右も左も判らない流れ者然であった。前職の業界はこれとは真逆のそれで何も知らない。そこでビールを頼んで(今でも覚えている、当時売れない三鶏の小瓶)人待ち。程なく、待ち人来たれりで、「お会計」に応えて出て来たメモ紙に¥5000なり。東京弁の一見様は鴨となる。こう言う土地である(過去形となったと思いたいが)こと前提で。当地の花見の時期の昼は何とか我慢往くが、流石に夜桜となるとインドアで暖房付きでないと風邪を引く。県のある部署が恒例!の夜桜見物(当然食糧費)は最高と言われていた千秋公園内料亭で50人位の貸し切り。料亭側だって支払いは県職員のポッケからではなく・・・(文字にするのさえ気分が悪い)だから躊躇することなく乗っけられるだけ載せる。お役人様さまの戦前の気風を裏返せば、ぼったくっても良きにはから故えウマー。一晩ウン百万は法螺ではない。この非常識をあたかも常識と確信をもって堂々と言えば、善良な(と役人は言うが馬鹿にしているのだ)市民は丸め込まれる。こう言う阿保に一票を投ずる有権者も何だかなーとは思う。とここまで書いてきて事実の確認をしようと『秋田県食糧費問題』でググった。確かに事実であった。令和51月の記事で佐竹のインタビュウだ。要約すれば『食糧費問題で役人の利用が激減し、あおりを喰らって料亭が三四軒潰れた。コロナ禍の自粛も程々にデンデン』これに対して記者が食糧費問題を肯定するのかと訊くと肯定も否定も事実だと答えた様だ。今に至っても反省どころか問題意識すら無い。

件の妄言をその前後から読むに四国関連の会合の後、会食となった。ここで奴は「御馳走」が出ると期待したのだ(奴にとって御馳走はステーキらしい)。ところが出てきたのは郷土料理のじゃこ天(御国自慢故当然だ)。自分の期待と現実のギャップで思わずの本音。高知の酒は不味い発言は「私は味音痴」の告白である。実は高知県と他の3県を四国で纏めるのは風土的に無理があると思う。日本酒とりわけ地酒に関しての土佐はトップレベルにある。高知県工業技術センターが開発する一連の「高知酵母群」はカプエチ系も酢イソ系!も出色の出来である。秋田県も試験場や県大農学部、全国的にしられた「モヤシ屋」等の清酒関連機関があって「開発」を進めるが、独自性に欠ける。カプエチ系高知酵母のCEL-2411 酢イソ系酵母のAA-41 AC26等はカプ・酢イソそれぞれの本質に沿って尖っている。秋田の酵母は無難な所を狙う。わざわざ県独自の酵母とするなら協会系酵母等のオーソドックスなそれではなくどちらかへ尖った方が面白い。高知ではそれをやれる、というかそういう事を許すのだろう。一方当地は違う、尖がって失敗すれば失脚である。無事これ名馬なのだ。何故こうなるのか。佐竹が象徴するように「上層部がアホやから」。食品は四国のそれと並んでもまだ埋没はしないが日本酒特に地酒の部分となると圧倒的に負ける。仮に自信があれば、この機を機会に今回の四国コラボキャンペーンのきりたんぽの様に打って出れば良いのに。

当方が扱い始めた15年前、酔鯨をして「アンナ辛い酒は売れない」と散々な評判だった。しかし、弊店で購入されたお客様からは一定の評価を得た。それゆえ15年以上も弊店の品揃えとして生きて来た。美丈夫もしかり。井の中の蛙よろしく「食わず嫌い」が当地である。ちなみに酔鯨はこの3年程前から市内で目立って来た県外流行酒を次々に揃えるお店の品揃えになったからか知られる様に。

と言う事は某Sの売り方に問題が・・・。じゃこ天は件の出来事以来、秋田からの注文が激増と聞く。どうも結果良ければ全てよし、で決着しそう。問題はあの様な人物(隠す事無く振舞うので注意していれば判る)が市と県の首長としてリコールされる事無く存在できる事実にある。ググれば結構埃がたっている。

国政でもあれだけ「文春砲」がヒットしても倒れないのと同じか。

四国の食は貧弱で酒は不味いのか貧弱で不味い君に言われたくない_c0155956_16472838.jpg
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# by sasatatsu | 2023-11-16 17:05 | いいたい放題 | Comments(0)

駅伝というスポーツがある。そのルーツは古代から近世にかけて存在した荷物や手紙の配達というよりも配送システムである。近世に確立された街道に配送システムが出来、宿場間を繋いだ。これにヒントを得て東海道53次、各宿場間を人に走らせてイベントとし、新聞の販売促進に使おうと現在の読売新聞が始めた。みたいな記事を読んだ記憶がある。読売ジャイアンツの試合の入場券が読売新聞の購読促進グッヅだった記憶がある。東京の四畳半に棲息していた頃

しばしば販促員に襲われた。特に読売のそれは質が悪かった。と言うよりも当方とそりが合わなかった。奴らは東京都に住む人間はジャイアンツファンであるのが標準と決めてかかった。当方あえて推す職業野球球団を問われれば『ドラゴンズだぎゃ』である。そもそも野球と言う世俗権威を背景の文化が大っ嫌いで日本人なら当然野球大好き前提の読売販促兄ちゃんとは、最後には喧嘩腰であった。インテリが造ってやくざが売るのが新聞、と良く言ったが、この標語を造った野郎こそ似非インテリ新聞記者だろう、なぜかって匂うのだな。

まぁそれはさておいて現行駅伝競走は「嫁売れジャンジャン」の販促をルーツに持つ。正月恒例の箱根駅伝をはじめ、女子駅伝とかはては秋田県内限定のそれとか、とにかく新聞テレビの販促聴視率確保宜しく雨後の筍状態である。陸上競技に詳しくはないが、最近のマラソンで日本が好成績を得難くなった原因の一つに、長距離ロードランニングにおける駅伝の影響が大きい事にあると思う。42.195キロを走りぬくのと1020キロ位のロードを高速で駆け抜けるのとは構造的な違いが。そして陸上競技としての駅伝はワールドワイドにみると日本特有の現象である。そしていかにも日本的なのは本来個人競技が本質の長距離ロード走が変に団体責任で縛られる。これを積極的に美化して囃し立てる。完全に全体主義思想の揺り籠である。

これらの問題が重なって象徴された映像を先週だったか見た。県対抗の女子駅伝と記憶する。或るひとりのランナーが意識朦朧として真直ぐ走れなくなっていた。最後には足がもつれて路面に倒れ込んだ。それでも立ち上がろうと藻掻く。TVはその場面を冷徹に中継する。これが陸上競技場のトラック上で起こっていればおそらく審判員によってトラックからフィールドへ強制的に誘導されたであろう場面である。選手の命に係わる事明白な事態である。しかるにこの時の駅伝では誰も救援に入らなかった。TVも見世物よろしく、眼前に迫った中継点まで這うように迫ろうとする映像をスクープ宜しく映し続ける。昔の戦意高揚プロパガンダの「ラッパ兵 木口小平」の死んでもラッパを口から離さなかった(ググってみて驚いた木口が来れば小平と続くと思ったら材木の切り口が延々と。確かに戦後ではないだ。)的なアブナイ映像である。

彼女の姿を見て棄権を申し出ないティームの監督とその監督を叱責しないティームオーナーは、まともな人権感覚の国で有れば「不作為の殺人未遂」で全国的に非難されるであろう。更に加えてあの状態を平然と放映しかつ危機感無しに中継したアナウンサーと解説者も同罪として失脚させられるであろう、普通の感覚ならそうなる。

しかし、あの時の世間の風を振り返ると、「劇的なカンドー一場面」として問題意識無しに「消費」された。パレスティナで大量殺戮を繰り返すイスラエル軍の攻撃を黙って中継するTVと同様である。異常な風景を其れと思わせないと言う意味で、件の女子駅伝意識朦朧中継と現在進行中のイスラエルによる無差別爆撃は重なる。

昨今の駅伝ブームと言うよりも、世間の流行を無理やり掘り起こして視聴率を稼ごうと言う落ち目のマスコミによる「流行の消費」現象としてのブーム。

日本酒で言えば当地の若手の拙いそれが、斬新な切り口とか言って揚げまくり、消費者もそのムーブメントの主体になったつもりで『難しい事言うんじゃないよシラケるぜ』と。

駅伝ブームと現行日本酒ブームとに同じ匂いを感じた。文書にしてみたがイマイチ、ニである。


# by sasatatsu | 2023-11-14 16:55 | いいたい放題 | Comments(0)

まんさくの花という銘柄で特名酒を出す蔵、日の丸醸造がある。秋田の殿様である佐竹家の旗印が扇に日の丸だ。そもそも国旗が日の丸。先の戦争で勝って居れば今頃は・・・・。名前が示すように由緒ある蔵である。醸造場は増田町にある。『蔵の街』として町興しを企画する程に立派な蔵が多く在る。秋田を代表する金融機関の一つ北都銀行の発祥の地でもある。陸と舟の交通の要所であり日本海側と山脈を超えて太平洋側との交易の要として栄えた。現在の日本の産業は太平洋ベルト地帯と、当方が小坊の頃習ったように脊梁山脈を境に太平洋側、少し前まで「表日本」と称した。そして日本海側は「裏日本」と普通に表現した。

産業的には太平洋側が栄えてきたかに見える。しかし、北前船が現役だった頃は日本海側の各地特に北前船の寄港地を中心に結構栄えた。ここへ流れ来て酒小売となり、止むを得ず「地酒屋」となった。当方の履歴を正確に見れば、立派な地酒屋さんと比べると『デモシカ酒屋』である。由緒?ある業界から見ればぽっと出のチンピラ野郎に過ぎない(これホントの事、本流筋からは蛇蝎の如くデンデン。)、何も卑下するわけでは無い。Time that they are changing 和訳すると無常を感じるだけだ。これは感情論で社会観察の認識論としては、常に観点を相対的に持ち続ける。この一点。『業界の常識は世間の非常識』とも言う。日の丸醸造の話が何時の間にやら似非認識論に。元へ戻す。

由緒ある日の丸醸造だが、経営者は敗戦を機に地元の沓澤家から静岡出身の東洋醸造サラリーマンの佐藤、井出の二人が酒株(経営権)を譲渡され、非常に閉鎖的な秋田でもとりわけその感が強い醸造界で県外人による蔵経営が始まった。まんさくの花なんてNHKの朝ドラのタイトル(ストーリーが地元横手)をパクったか、られたか知らないが非常にタイムリー且つ適中のブランド構築。当時では先進的な特名酒主体で尚且つ、市場は秋田を飛び越し、東京中心の関東圏へ。とにかく「秋田基準」を大きく飛び越した、今から見れば斬新な展開をした。現在の当地も流行の横文字とレトロ国語でマスゴミ好みの斬新な展開の連中が注目されるが、まんさくの場合は確かな中身を伴う点で次元が違う。

佐藤井出のリーマン蔵元から3代目が現行の社長。ほとんど交流が無い。まぁ思うに、『業界の常識は世間の非常識』と、朱に染まって真っ赤っかを回避せんとかも。先代からの企画で「巡米シリーズ」と言うのがある。同一規格で原料米を違えて吞み比べをという地酒の楽しみの中核本道を実践しようと言うのである。

3代目になって精米を70%に固定してきた。スペックを追う余り一桁%なんて削りが出る程に、奇形の法則通りの動き。一方でその反動であるが如く98割と言うのが出て来た。70%精米はこの流れであるかに見える。しかし、醸造理論的に精米という作業を科学的に見れば至極真っ当な数字である。理論的には精米は75%で十分その要に足るとある。真正で75と考えると見かけでは70%プラプラであろう。原料米の味違いを体験する為には変に吟味は無い方が良い。

まんさくの花巡米シリーズの愛山バージョンが出た。愛山70%を秋田酵母12番で醸す。実はこの70%は愛山にとっては伝統の数字である。阪神淡路大震災まで日本で唯一の愛山使用蔵が剣菱である。40年以上使い続けたのだ。その際の規格が山田麹愛山掛けの70%精米である。大粒軟質かつ雄町の血が濃い故、独特の酸を柱の味が出やすい。という特性を最も活かすのが70%精米である。もちろん酵母は酢イソ系である。

まんさく巡米愛山が70%精米を秋田№12酵母で仕込んだのは、ど真ん中のストライク。一般に愛山使用酒は甘味がベースでともすれば甘くどくなる。巡米70は切れの良いやや辛を基調に旨味が乗って上品に出来ている。3年程前と記憶するが、息子殿が社長になっていきなりあの名杜氏高橋良治を引退させた。正直言ってそれまでの「まんさく」は何処にである。更にマズイ?事にコロナ禍で出来た酒を一堂に会して展示する事も止めた。サンプルをと言っても徹底的に無視(それは君が嫌われてるだけの事と影の声)。な訳で弊店取扱に「まん」は現在3種しかない。大吟吟醸は削ったから大吟・吟醸と言うレベルだが、入荷した巡米愛山70は流石に「日本酒」になっているのみか「愛山酒」として弩ストライクである。


# by sasatatsu | 2023-11-13 17:52 | お勧め | Comments(0)

酒の嗜みは脳内変換作業

最近のTV番組でMyブームなのが『孤独のグルメ』だ。俳優の(ここでちと疑問がAVだと男優と呼称するのは何故だ?)重松豊扮する井之頭五郎が、主に仕事先で食する昼飯をめぐっての半分ドキュメント番組。とは言ってもBGMはリズムがレゲエで音調無しの打撃音のみで構成する時が有ったり、演者の奥深い演技に『オヌシ役者やのう』と独りゴチしたりで、最近のインスタント劇とは次元の違う良く出来た脚本に支えられた見ごたえある番組だ。10/22の番組は珍しく場所が伊豆の河津だった。食材は当然ながら山葵と苺だった。清涼な水と急峻な岩場の伊豆と来れば山葵だ。実は東京の奥多摩でも山葵が名物だ。冷涼な水と岩場で栽培できる農産物としてはこれしかないとも言える。で、なぜイチゴなのかだ。石垣イチゴでググると判り易いが温暖で晴天の多い静岡の気候が石垣の蓄熱効果を引き起こし12月から5月にかけてイチゴ栽培を可能にする。もっとも最近は農家の高齢化に伴い、産業としてのイチゴ栽培は衰退したとグーグルさんが言う。

で、五郎が甘味処でそこの名物イチゴパフェに手を付ける場面で当方の舌にある反応が。これを書こうとここ迄が導入部である。

丁度その時晩酌利き酒であった。浦里純米大吟「吟乃里」を含んだ瞬間である。

おや?苺フレーバーが。酵母は小川酵母故に教科書的にはバナナ様の香りで低酸・・・・。TV画面のイチゴパフェが当方の香気感応部分に影響したのだろう。

米を原料の酒から不思議な事にフルーツの香りがする・・・・、と言うのが吟醸酒の魅力に最大セールスポイントである。しかしその実体は果実の香りでは無く「果実様」のそれである。鼻腔を入った香り成分が脳へ信号を出す。その際「様」と錯覚を起こす。バナナと刷り込まれればそれだろうし、今回の様に視覚から苺が入れば「苺様香」を錯覚する。ここに深い文化性を見ることが出来る。

文化性とはまた大層な単語である。散文的な言い方をすると、吟醸酒と言う存在を決定づけた「吟香」とは、人間の脳内変換によって造られるある種の錯覚である。現在では当たり前のように「吟醸香」と表現するが、この概念の無かった頃に、飲食関連の人間が「吟香」をして「薬臭い」と感じ吟醸酒を否定的に見ていた事実が物語る。戦前の事(当方の年齢では戦前とは太平洋戦争敗戦以前を言う)試験場の職員が、普段お世話になる赤ちょうちん屋台の親父に、お礼の気持ちで試験場で余った?出品酒(当然の事吟醸酒)の端瓶を手渡した。その後の或る日赤提灯屋台に座った時、オヤジが意外な事を言ったと言う。職員は飛び切り旨くかつ一般市場に流通しない酒を有難がる、と予想していた。オヤジの感想は「あんな薬臭くて薄い酒のどこが旨いのか。」だったと言う。

現代の日本酒愛好者は、米原料の酒から果実様の香りがするのは面白い、とか、華やかな香り吟醸香を纏う穀物由来の醸造酒、吟醸酒は世界的にも稀有な「華」である。等々の知識を事前に刷り込まれている。そういう認識状態で「薬臭い」類の香味は、「ハハー、これがデリシャスリンゴの香りね。」とか「うん確かにバナナの香りじゃん、そんなばなな」と言う反応に変換されやすい。仮に否定的に感じても世間一般に肯定的に評価される香味としての「吟香」であるから、頭から否定は行い難い。この一般的に肯定的に云々の行は、こうして記事を書いている当方すら現代吟醸特にカプブリを利いた時に体験する。『おやくっさいねぇこのカプ』等と口走れば周りは白い目で「何こいつ!」である。話がずれた戻す。

吟醸を嗜む行為は結構な部分、「頭で感じる」要素が占める。

ここまで書いてきて、当方が経験した或る現象について納得がいった。この2年位で果汁その物を添加する「吟醸の様な物(清酒)」が目立って来た。添加する果汁は文旦、すだち、カボス、リンゴ等。ワインにもサングリアがある故、日本酒でも多様化を考えれば・・・・。確かに「理屈」ではある。当方も初めてカボス添加酒に展示会で遭遇した時は『何事もケーケン』と試してみた。ストレートなカボスの香味である。そのベースになる『日本酒』の風合いは果汁の香味が強すぎて嗜む余地が無い。無粋な事と感じた。で、次の酒を利きに・・・。そこで気が付いた。正確な利き酒が出来ない程に口の中至る所にカボスが居残る。特定名称酒の楽しみの大きな部分は「飲み比べ」に有るのだが舌が馬鹿になって作用しない。この経験があって以降、「果汁」に近づく事すら避けている。含まなくとも漂う果実香がすでに利き酒の障害となる。「薬臭い」を「果実様吟香」に変換する作業に支障をきたすのだ。

吟醸や純米の特名酒以外にも良く出来た普通酒、これらの日本酒の嗜みの一つは「飲み比べ」にある。これが成立する大前提として、あくまでも純粋に醸造と言う過程を経た物でなくてはならない。果実風味が欲しいと言って果汁その物を添加すれば比べるベースが違いすぎである。この次元となると醸造の技の比較よりリンゴと苺、カボス、文旦等の直球の風合いの好き好きのレベルとなる。

数値とかスペックで判断するな(頭で飲むな)ではあるが、嗜むと言う事は高度に文化的作業でもある。科学的事実として脳内変換の背景にある時代背景や環境状況などを考慮に入れると「吞み比べ」がより楽しくなる。


# by sasatatsu | 2023-11-05 17:56 | 酒の味 | Comments(0)

日本酒の吟醸香について気が付いた事を書いている。2週間経つが進まない。そうこうしている内に中東でとんでもない事態が進行中で1029日の報道を聞く限り、イスラエルは事実上の地上侵攻を限定的と言いながら既成事実として積み上げている。あの地区の問題は二千年に渡る歴史があり、背景にユダヤ教キリスト教イスラム教と言う兄弟宗教の複雑な絡みがある。年賀で神社、結婚式をチャペルで葬式をお寺でと言う宗教的に融通無碍と聞こえはいいが無節操、出鱈目が標準の一般的日本人には到底理解不能な背景がある。幸運にも知古を得た或る宗教人から当方へ興味深いエッセイの写しを頂いた。心情的にぴったりだった。小林よしのりのライジングと言うWEBマガジンの記事の一部だった。

ハマスとイスラエルの今回の戦争(国際法上のそれ足り得ない)と言うより無法国家間の究極の暴力の応酬は、どちらかが民族浄化で物理的に消滅するまで何百年と続くだろうし、現在の人智ではそれを防げない。という気がしていた。この混乱を収める「法」が無いのだと小林は言う。法とは一定の人間社会の存在を前提に、それが「機能」する為の約束事である。反対に言えば機能しないような約束事は法足り得ない。身近の事例で言えば日本の道路における法定速度が教科書的事例だ。この国におけるデファクトスタンダードとしての「法定速度」は現実の道路に置いて自然と発生する「道の流れ」という社会的現象である。法を遵守しようと言う規範意識はこの場合無駄なく道路を使える速度と言う事実が官僚が机上の思索で決めた抽象に勝る。規範意識は合理的事実に支えられる。

この意味で「国際法」は法足りうるのか、当方が学部生の頃、半世紀前に思考の大前提であった。法が「順守」される事実上の仕組みは、最終的には国家権力による強制、究極にはコマワリ君よろしく『シケ』が睨みを利かす。国際法には暴力を背景に睨みを利かす「権力」が無い。不法行為を行った国家というか団体が「そんなのカンケーネー」と居直ればお終。今回のハマス、イスラエル双方とも「そんなのカンケーネー」と非道の限りを尽くす。そこには人道的と言う概念の入る余地は無い。殺す(ヤル)かやられるかだけが「ルール」である。

こうなった時、民族浄化という蛮行はこの地域における特殊歴史的背景の下、目を瞑る物であって、けっして国際関係上の「常識」では無い程度の、国際的コモンセンスの醸成程度に帰結させるのが精々だ。ナチ施政権下において、正しく民族浄化の危機に晒されたユダヤ人国家イスラエルはここに至ってナチス糾弾の資格を失ったと言うべき。パレスティナの人々の運動映像を見ると圧倒的に男が露出する。女性の社会的地位はと思う。近代的システムとしてのデモクラシーが機能不全もしくはその意識すらない前近代的国家が現代資本主義の権化とも言うべきイスラエルと暴力交渉と言う無謀さ。とここまで言うとガザ地域という檻に閉じ込められ恒常的に非人間的抑圧下にあるガザ地域住民にそこまで求めるのかと石の礫必至。イギリス植民地支配から如何にしてインドは独立したのか、そして今も隙あらばと言う勢力と対峙しつつも片方で非暴力交渉を巧みに行う。現代パレスティナの混乱の直接の原因は「アラビアのロレンス」で知られる大英帝国の「3枚舌外交」にある。欧米列強の植民地政策の弊害だ。東南アジアの現状、大陸支那に与えた阿片戦争、江戸末期から明治時代にかけて日本が恐れたのは西欧列強の植民地になる事だった。先人は良く戦ったが、結局大東亜戦争でしてやられ、今では仮面植民地として経済はもとより思想哲学まで見事に侵食された。明治以降150年を経て西欧列強による事実上の植民地政策が実を結んだ。

などと「感慨」にふけっている当方の前のTVニュウスショウでは、歌舞伎町ホストクラブの構造とそこに貢ぐ腐女子の存在、さらにそこへ金を出す中高年の日本人おじさん。

これを見て思わず独り言「金貢ぎたけりゃ、勝手にしたら、犯罪として挙げる前にもっと大きな犯罪があろうが。ゲーリー政権下で完成された警察権力の横暴。自分でメスを入れないと規範意識が崩れ社会が崩壊するぜ」。

歴史的事実は地理的距離も時間的空間も飛び越えて複雑に絡み合う。昔と違いこの絡み合いの影響が直ぐに響くのが現代だ。

酒の話をしながらも、現在進行中の世界史について無視はできない
# by sasatatsu | 2023-10-31 16:48 | いいたい放題 | Comments(0)