にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

地酒の買い方

先ほど真面目そうなかつ、はっきりと意思のある目の若者が来店。酒に詳しそうには見えないが一見して「其れと判る」一点狙いの向きとは人種が違う。呑み比べ志向と伝わる時には直ぐに「何かお探しの物が」と声掛けする。秋田のジモティにとっては訳若布(ワケワカメ)即ち、珍糞漢糞の品揃えが弊店。お好みを伺ってご紹介するのがいっとう早い。

件の青年だが「飲み比べ」とはちと違う。定席のPC前を立ち上がりレジ前へ移動。1分も経った頃、空気を読んで

「何かおさがしの」に

「ハルガスミあります?」ときた。『って』と言わない所が「其れ」ではない。

「春霞の何かな、春霞ったって色々あるね。ところで何で春霞なの。」に

「友達に頼まれたんです。ところで当ブログをひねっている最中に「アラマサ系ってあります?」ときた。初めて聞く「○○系」。電車か。

地酒屋が持つ春霞は大方がその時期に出る特定の1種だけと見ておかしくない。

春霞の酒質に関しては『うでがつたない』の一言に尽きるが、それでも弊店の水準に追いつくと言うか秋田酒として許せる物は有る。この蔵にとって不幸な事は売れているらしいことである。話がずれた。

件の青年には特純本生をご紹介した。

例えば自家用車を求めようとする。候補を絞り込むに、使用目的で絞り込み、軽以外なら外車か国産か、後者としてメーカーはと絞込む。例えばトヨタのフィールダ4WD,と選んでゆくのが標準かと。

日本酒で何をお探しですか、に「春霞」は、車で言えば「トヨタ車」程度の絞込みか。そこで「どうしてTなのでしょう」と伺って絞り込んでいく。

先の事例で言えばこの時期に地酒屋に並ぶ春霞は2種か1種程度ゆえ絞り込みようがない。やむなく結果オーライである。

日本酒を選ぶのに酒銘だけの時代は旧12級の時代である。麦酒は☆・SD・獣・三で区別が付くが最近は発泡酒と麦酒風味へと細分化した。しかしこれは多様化と言うよりも質におけるディスカウントである。

要は麦酒の市場は酒銘で区分できるほどに単純というか浅い。「とりあえずブランド」と言う事である。

さて日本酒で乾杯キャンペーンを其処此処で見る。一括りに「ポンシュ」と言う文化から抜け出ていない。ヨケーナオセワ。所詮役所の考える事である。

我が飼い主の曰く

「まぁよく一々難癖をつけられる事。」

Thinking it overか多分lessだなきっと。

「春霞ありますか」で思うことである。


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# by sasatatsu | 2018-02-23 14:19 | 酒の売り方・買い方 | Comments(0)

「仮想通貨」の矛盾

仮想通貨とやらが話題に上る。中央銀行の管理ではなくブロックチェーンと言うコンピューティングスキルによって支払い決済手段としての安定性を確保する、という所に本質がある様だ。1ビットコインのドル換算価格が何百倍になったり一気にその1/2?になったりと言う現象は本質ではない。と、伊東乾先生の解説である。

使い勝手からの「本質的考察」として客観的かつ判り易い。がしかし、もっと本質的な考察が必要だろう。仮想と言う言葉は紙幣や貨幣の現物ではなく電磁的記号が対象ゆえ「仮想」と呼ぶのであろう。本質は「決済手段もしくは支払い手段としての通貨」にある。

通貨である以上、何故それ足りうるかの考察は必須である。つい先日の事、南洋の島国では未だにデッカイ石の丸い彫刻物が島の通貨として存在すると言う記事を読んだ。この例はマルクス経の経済原論にも載っていた記憶が。グローバル経済時代に本当か。

判りやすく例えるなら、目の前に千円札が在るとする。その物理的には単なる紙片に千円の価値が有るのは何故か。使う人が千円と信じるからである。その証拠に円の流通しない合州国の、自動車でしかたどり着けない様な辺鄙な所で、千円札は通用しないだろう。

では我が国内で千円札が通貨として信用されるのは何故か。お札を日本銀行券と呼ぶように日銀が「これは千円ですよ」と保証するから千円なのだ。即ち日銀の信用が背後に在ると、どこかで読んだ。

ここで「信用」の内実とは何だ。に対して千円と信じるからと言う答えは、千円札はセンエンだからそうなんだという理屈にもならない理屈である。専門家ではないので自信は無いが、この千円の価値(信用)の根拠を如何に捉えるかでマル経と近経の出発点の差があると、経済学の自主ゼミで1年かけて学んだ記憶がある。

と考えてくるとドル札と金との交換停止、1971/08/15の所謂ニクソンショック以来の変動為替相場制を支える根拠はなんだろう。と、夜も眠られない。

仮想通貨が投資(投機)対象として注目を集めているらしいが、そもそも通貨そのものが投機対象になることが通貨として矛盾する。

田舎の酒屋の爺さんが持つこういう素朴な疑問に応えてくれる所は無いものか。

それこそ税金で運営される大学の役割ではないか。


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# by sasatatsu | 2018-02-21 14:43 | その他 | Comments(0)

吟醸酒の楽しみは比べ飲みにある。と看破したのは篠田次郎氏である。地酒という言葉を現代適合的に定義されたのも同氏である。最近は「地酒」を簡単に使う酒小売が多い。消費者から「地酒ってなあに」と訊かれた時に如何するんだろうと、他人事ながら心配する。もっとも斯様な質問を発する消費者が選ぶような店なら、それぞれ自説をお持ちだろう。

地方と書いて痴呆もとい、チホウと呼ばずにジカタと使う。この用法が江戸時代灘伏見(実は知多半島からも)から江戸へ下る、「くだり酒」に対して江戸周辺の「京・オオザカ」に対しての「じかた」の酒である。『地酒』と、ある種のさげすみを含んで呼んだ。酒米の王である山田錦・雄町に対して「地米」と言う使い方もある。

大生産地たる灘伏見(知多)の先進的な酒に対してせいぜい半径23里を相手の地酒。この構図がTVCMで売りまくるナショナルブランド(NB)酒に対してせいぜい痴呆民放CMでどうだ、程度の旧2級地元ブランド、に似ているところが現代の地酒用法の始まりだ。思うに「日本名門酒会」が起爆剤だったかも知れない。

ここまで書くと「地酒」と「吟醸酒」とは会話で使う時と、こうして文書で固定する時とで区別すべき事に気が付く。地酒屋と称しても吟醸屋とは言わない。

比べ飲みの楽しみは「吟醸酒」にある、というのが篠田先生の御説である。ご丁寧にも所謂旧一級酒(現本醸造酒)が種々並んでいてもその前に列為して利き酒は起らないとも書かれた。比べ飲みに耐え得る酒質は「吟醸酒」が漸く辿りついた「ある種の極致」と解釈できよう。

さて、昨夜。1年経過の「蔵元やまだ・あんどん燗」を飲んだ。常温展示の1年経過ゆえ「老ね酒」を想像していた。軽く熟成香がある物のお洒落な燗酒の状態は崩れない。一昔前の吟醸酒の燗より美味い。飛騨誉56%アル添本醸造である。醴泉特別本醸造は山田錦60%、山形9号である。5月上旬のこれは1年超の熟成物である。恒例の5月の醴泉セミナーの本ちゃんは夕方の懇親会らしいがセミナーの最後にその年の新酒の利き酒ができる。一年超熟の特本と、上槽したての山田35純大吟中汲みを比べる事ができる。1.8L1900円の特本が同1万円と遜色ないどころか味の乗り方は上だ。美丈夫特別本醸造は地米松山三井60%の酢イソ系鋼知酵母(AA41)使用1.8L 1800円。ショウケースに並ぶと知らないうちに欠品となる。九頭龍逸品は五百万石65%金沢系酵母で本醸造タイプである。そこいらの大吟醸と並行して飲んでも負けない上品な存在である。当地でもイオン系のスーパーの目玉として並ぶらしいが弊店の2倍のお徳価格。秋田の黒龍販売店として恥ずかしいが、イオンの売り場で酒を買う向きは「黒龍」をクロリュウと読むレベル。酒担当のバイヤーのおつむの中は、究極の井の中ビッキと言う秋田県人のメンタルを知らない。

所謂「ツウ」が蛇蝎の如く嫌う「本醸造」それも吟醸のそれではないクラス。が弊店取り扱いとして成立する。記述の如くスラスラとインプレを書ける程に、当方もウンマイと頂いている。加えてその現場は市販酒の利き酒テストでもあるから最低3種の日本酒で比較する。本醸造でも比べ飲みに耐え得ると言う事である。

篠田先生はその御著書で『日本酒から生まれた日本酒では無い酒。百年に一回の酒質、それが吟醸だ』と主張される。経験的には15年程前なら大よその事正解だと思う。

ここで興味深いエピソードを思い出す。不老泉の3年熟成赤ラベルの創造者にして秋田市に「喜久水」を紹介した(当時の喜久水は秋田吟醸の牽引車だったと、何故か過去形が寂しい)秋大鉱山学部院生だった横井君の呟きである。

「あのね、山田さん。あの高清水の二級酒だって槽口はしこたま美味いですよ。」である。15年前でもそれなりの設備の蔵なら立派なモロミを造れた。問題は上槽後の工程にあった。喜久水吟醸の立派だった(嗚呼過去形だ)所は、この後工程のこだわりを酒販店の店頭まで求めた、にある。

現在において地酒屋の酒と一般市販のそれとの大きな違いは上槽後の工程に意識が行き届いた酒かどうかであろう。

日本酒にランクが有るとして(仮定である。この価値観には否定的が当方)、精米歩合で指標とするのが一般的である。その典型は獺祭であり斯く公言もする(これについては大問題を観る)。

学者は理論的な精米に要する数字は75%で良し。出品クラスなら50%で充分と書く。本質は上槽後の工程にあった。昔は出品クラスの吟醸までしかその手間がかけられなかった、それ故「吟醸」だった。しかるに現代は70%精米の普通酒にすら吟醸クラスの手間をかける。その典型が「槽で搾った志太泉 普通酒ひやおろし」である。

吟醸酒となると精米60%とか低温発酵の吟醸造り等々の要件が発生する。現在ではこれ等要件を外れて「立派に吟酒」が産まれている。「吟醸酒質の酒」と呼びたい。

普通酒も本醸造も自分が呑みたいと思う物は比べ飲みに耐え得る、という現実から何故そうなのかを考えた
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# by sasatatsu | 2018-02-20 16:26 | 酒の味 | Comments(0)

絶句のあまり

二週間もご無沙汰である。この間、何通の原稿を没にしたことか。気分は賽の河原である。
『とうとう奴も逝ったか』と悦ばれるのも癪に障る。イッパツ、カマス。

「領収書の無い経費は。」「うるせぇ、佐川出せ。」 が流行りそうだ。

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# by sasatatsu | 2018-02-18 12:23 | いいたい放題 | Comments(0)

TRONスーパー301条」でワード検索すれば判るが、ダメリカ合州国による日本潰しとそれを忖度し迎合する日本の高級官僚の売国奴度合いの、想像を絶する大きさ。それでも現実を受け入れなくては「オマンマの食い上げ」である。敗戦後70年をかけてこの国は植民地として完成された。

どれ程のそれかを象徴する映像がYou Tubeにあがっている。↓

Google 検索:キーワード:Japan's PM falls into a golfbunker.

そしてこの出来事を日本から次の滞在先、ベトナムへ向う「空軍1号」の機内で

Im very impressedbecause (Abe is) better than any gymnast Ive everseen.と、トランプがABの姿をプレスの前で嗤ったと言う。

イイトコのお坊ちゃまとしての品が漂って画になるならまだしも、深窓?の育ちぞこないスネオ然としたABに日本人として同情は感じない。しかし、この映像と飛行機内の談話は「犬と中国人は入るべからず」と書かれた戦前の上海租界を髣髴させる。加えて後方一回転でバンカーに転げ落ちるABをそのままにゴルフを続けるダメリカ一行の親分、西洋歌留多とABの関係性を象徴する画でもある。イバンカのファッションがどうたらこうたらより遥かに報道価値ある事実である。

マスゴミが表現の自由の下、第四権としての職務を放棄する一方で、海外報道のヨウツベが支障なくネットにアップされる。日本人もそれを観る事が可能な現実。

不倫報道で飯が食える時代はそうは続かないと思いたい。この国の商業報道は首まで水に浸かっている。


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# by sasatatsu | 2018-02-05 14:41 | その他 | Comments(0)