アッキード事件 顔色の忖度に核心あり
2017年 03月 16日
マル経的経済学だと、経済活動の活発化で余剰が出てくる。それを貯める。そのお宝を巡って諍いが始まり、イクサとなる。
諍いの度に首が飛ぶのは宜しくないと言う事で弁論により雌雄を決しようと、議会制民主主義が制度化された。
まぁ、とてもアバウトな話だ。
とにもかくにも、現代の争い事は全て言論を基調とする弁論に依る。したがって政治家の言葉は非常に「重い」と言いたいが。
出ちまったよ、と目を覆いたくなる「赤信号ミンナで渉れば怖くない」である。
西洋歌留多である。がしかしその前に「大嘘も堂々と言えば真実」と言う見本があった。恥ずかしながら我が国のプライムミニスタABの「アンダーコントロール」である。
ここしばらくの「アッキード事件」の言葉のやり取りを見るに、幼稚園児に聞かせたくない程お恥ずかしい。伊達めがねに網タイツの弁護士あがりの女史に至っては「君ほんとにベンゴシかい」と思わず口にするほど大嘘付のコンコンチキ。
親分が親分だけにでんでん。
議員の数だろう、恥をそれと知ってか知らずか。取り巻きのマスゴミもゴミを超えて毒物だ。
公務員が国家財産を、お偉い人の「顔色」を「忖度」して、邪に処分したのだ。
問題は高級公務員が「政治家の顔色を忖度して」法を曲げてシラン振りにある。
顔色の忖度であるから「不法は内心にある」。すなわち肝心のお偉い人は無傷となる。お隣韓国の最高裁の様に「気分で有罪」が許されない。これをやれば、共謀罪など制定せずに処理できる。
隔靴掻痒の気分になる構造は「顔色の忖度」にある。
と明確に判れば後は簡単。忖度した人物を公に引っ張り出し、不自然な事実に付き何故不自然なのか「証言」させれば良い。
この類の公務員の見えない不正、恣意的行政行為はこの国に在っては朝飯前である。ここに公務員がシロアリの存在たるレゾンデートルがある。
コームインの胸先三寸が無くなり、本物の法治国家・・・・・。
書いていて虚無感に襲われた。
とまれ、アッキード事件は明治以降の官僚政治につき白日に曝すいい機会ではある。もっともその上には横田幕府が・・・・でんでん。