高田渡と山廃 |
2012年 05月 09日 |
高田渡
おいらと同世代の人は聞き覚えが有るだろう。2005年4月16日突然彼岸へ旅立った。大酒飲みで入院騒ぎはルーティンでこの時もそのはずだったが。56歳で召された。おいらは病院のサロンで2005年4月17日のお昼の国営放送ニュウスで彼の死去を知った。脳卒中で入院中だった。
左半身の麻痺と言う事が我が身の事ながら「実感」出来なく、リハビリを頑張ってもう一度バイクを転がすぞなんて思っていた頃だ。もう7年も経つ。
晩年近くの「渡」の風貌は齢80の老人の如く草臥れて見える。うたう歌や吐く言葉には俗世を嗤い飛ばし、聞く者をその時間は超然とさせる何か普遍的な力を感じた。ただ草臥れた風貌からは明らかに長年の不摂生による肉体的衰えが見えた。不思議な事に彼の作品を聞いたり映像を見るその度にその精神が若返って伝わって来る。
泉谷しげるが!渡の前で彼を指して「国宝!高田渡!」と叫び『生活の柄』を唄う映像を見た。なんだろうこの記憶の感覚の揺り戻しは、昔まだ酒屋の駆け出しの頃、刈穂・秋田清酒でかの名人、角田部長が現役で技師をしていた時、あの時の山廃純米を初めて飲んだ時の衝撃、常きげんへ農口先生が移籍して第一号の「山廃吟醸」を利いた時の衝撃、霧筑波の山廃純米の燗上がりの感動。何故かシンクロする。
そういえば我が家のどら娘が初めて高田渡を聞いた時「ふるくっさい」と反応した。以来2年経って何かを感じたようだ。直ぐ聴いてパッと判る音楽では無い。おやここに名人の山廃との共通点がある。
酒は飲んでしまえば消える。歌も演奏が終われば消えてしまう。共に人の記憶に残る芸術だ。
「国宝!」と言える酒に出会えるか。一つ疑念が有る。
そろそろくそ爺の境地へ踏み分けつつあるおいらの身体だ。嗅覚味覚は確実に衰える。間に合うのか。
おいらと同世代の人は聞き覚えが有るだろう。2005年4月16日突然彼岸へ旅立った。大酒飲みで入院騒ぎはルーティンでこの時もそのはずだったが。56歳で召された。おいらは病院のサロンで2005年4月17日のお昼の国営放送ニュウスで彼の死去を知った。脳卒中で入院中だった。
左半身の麻痺と言う事が我が身の事ながら「実感」出来なく、リハビリを頑張ってもう一度バイクを転がすぞなんて思っていた頃だ。もう7年も経つ。
晩年近くの「渡」の風貌は齢80の老人の如く草臥れて見える。うたう歌や吐く言葉には俗世を嗤い飛ばし、聞く者をその時間は超然とさせる何か普遍的な力を感じた。ただ草臥れた風貌からは明らかに長年の不摂生による肉体的衰えが見えた。不思議な事に彼の作品を聞いたり映像を見るその度にその精神が若返って伝わって来る。
泉谷しげるが!渡の前で彼を指して「国宝!高田渡!」と叫び『生活の柄』を唄う映像を見た。なんだろうこの記憶の感覚の揺り戻しは、昔まだ酒屋の駆け出しの頃、刈穂・秋田清酒でかの名人、角田部長が現役で技師をしていた時、あの時の山廃純米を初めて飲んだ時の衝撃、常きげんへ農口先生が移籍して第一号の「山廃吟醸」を利いた時の衝撃、霧筑波の山廃純米の燗上がりの感動。何故かシンクロする。
そういえば我が家のどら娘が初めて高田渡を聞いた時「ふるくっさい」と反応した。以来2年経って何かを感じたようだ。直ぐ聴いてパッと判る音楽では無い。おやここに名人の山廃との共通点がある。
酒は飲んでしまえば消える。歌も演奏が終われば消えてしまう。共に人の記憶に残る芸術だ。
「国宝!」と言える酒に出会えるか。一つ疑念が有る。
そろそろくそ爺の境地へ踏み分けつつあるおいらの身体だ。嗅覚味覚は確実に衰える。間に合うのか。
# by sasatatsu | 2012-05-09 17:17 | 酒の味 | Trackback | Comments(2)




