にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

共謀罪を素人考えで観る

最近つくづく思い返すことがある。今から42年前、1975/04/30にアメリカがベトナムから撤退した。

知り合いの民青の幹部が「西欧植民地時代の終焉だ」と解説したのが印象的だった。欧米資本主義に抑圧されたアジアの夜明け程度に。未来は明るい。一方で1973年に発足したTrilateral Commission(三極委員会)なる物により、国境を越えた資本の遣り取りが起り一政府を超えて資本による治外法権状態が惹起されるだろう。と言う予言を東大の一教室でやったセミナーを想い出す。現場には宇井純が居た様な記憶。開放された気分に冷や水だった記憶。

そして夜明けどころか漆黒への黄昏時だったのだと、今、気が付く。

僕たちは何処で間違えたのだろう。

と嘆いていても仕方が無い。世の中は激流となって河を下りつつある。お隣半島の情勢は危険である。北半分はアメリカ合州国へ届くICBMを持たない。それとその先につけるニュウクリアボムが出来る前に歌留多野郎は空爆をしかねない。決して自国軍をBoots on the ground にしない。アジア人のために無駄に自国兵を死なせたくない。「アメリカ ファースト」の内実である。

相手のリーチ外がら殴りつけそのトバッチリを受けるのが南半分と日本である。

南半分は兄弟間の身内ゆえ身から出た錆である。がしかし、当方はいい迷惑である。

こういう状況を待っていた(勘ぐれば利用せんと)かの様に、共謀罪が成立しようとしている。現行刑法が出来た頃は、国際テロ組織なる物が一国の軍隊を凌駕する実力を持つ。とか、毒ガスや細菌兵器を使いこなす非国家組織は想像だに出来なかった。その意味で現代政治に適合した刑法であると言う事に合理性はある。がしかし、「共謀」と言う内心もしくは言論の域まで国家権力が介入して良い物か。更に加えて有罪率99%と言う現実からは司法による適正な監視は期待できない。刑法の発動とは国家権力の剥き出しの行使である現実が、わたしゃ一般人だから関係ない。で終われば危惧しない。

歴史はそうではないように見える。

昔の事、キリシタンバテレンの摘発にマリア像を踏ませた記録がある。信仰と言う心の中を罰する事がどれだけ非人間的であるかの象徴である。この踏み絵に関しては当方は別の考えを持つ。頑迷かつ不信心な幕府の手先を惑わし信仰を広める為なら心の広いマリア様は絵を踏むことをお許しになろう。

と、こうなると思想の取締りがかえって取り締まり対象思想を広める効果を持つ。

東京オリンピックを成功させる為に共謀罪の成立を急ぐ、2週間のイベントのために内心の自由と言う根源的人権問題を慌てるのなら、そんなイベントはいらない。と、ブラックリストに僕が登録されるかも。なにせビッグデータの時代だ。


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# by sasatatsu | 2017-04-26 16:14 | いいたい放題 | Comments(0)

前稿で「新政」酵母と新政の関係について書いてみた。見返すに、思った事が伝わってこない。酵母無添加生モトのモロミで優秀なモロミを造る、と言う事は結果的に醸造的純粋酵母を産み出す事となる。現代の酵母は生物工学下における理論的純粋酵母であるからそもそもの出自の次元が異なる。

現行新政は佐藤卯三郎が実現させた醸造的純粋酵母の産出の現代的再現を狙っているのでは。

斯く勝手に決め付けて最近の新政の酒の風合いに付き「一般的」に考える。

ここで一般的と言うのはアウトサイダーゆえに新政の酒を一堂に並べて利き酒する機会の無い事。更にもっと言えば小さいタンクで何回も仕込みほとんど夏の7月まで上槽し、その都度瓶詰め、市場へと言う体制に見える。即ち出荷のたびに風合いが異なるだろう故である。

圧倒的に供給数が少ないと見え、欲しい時に欲しい物を入手が難しい。もっとも当方としてもそこまで苦労して入手したいとは思わない。仮にこれが超名人の大作で在っても同じである。一定の時間と一定の数量を種々の場面で経験して初めてその蔵の酒の理解の前提が整う。

要は今を盛りに見えるあの蔵を正確に観察できる状態ではない。

ザッハリッヒに蔵の様子を観て『発展途上』である。断っておくがここに価値判断は無い。

呑んでみた基調は「甘じょっぱい」である。普通には甘酸っぱいと表現するが新政の僕の感想は「じょっぱい」である。炭酸のシュワシュワ感がこう言わせる。

この「甘じょっぱさ」も利くロットでかなり違う。とはいえ頻繁に利く訳ではないので半年単位での差である。1年単位ですらしかるべき蔵は共通の風合い即ち「基調」を持つ。良し悪しを言う前に製品の風合いに違いがある。

なぜ甘く酸っぱいのか。である。甘いのは日本酒が米を糖化した甘酒ベースの醗酵品から当然である。そこを新政は現象として強調している。醗酵不良の残存糖分が作用、ではない。意図的に旨味としての表現であろう。

酸味は何処から何故である。従来日本酒製造の悩みは如何に酸味を抑えるかにあった。醗酵とは腐敗と表裏一体ゆえ、心地良い産と「危ない酸」が有るとして出来るだけ酸を抑えた方が軽快な風合いとなる。越後酒が一世を風靡した淡麗辛口は酸を抑える所に秘訣が有った。ここに一石を投じたのが十四代であり○九である。醸造理論の進化と環境の向上で汚染による酸味は無くなり、綺麗な酸を残せる様になった。この意味において十四や○九より早く酸を生かした蔵として酔鯨を挙げるべきだろう。熊本酵母の切れ上がる酸を酸味ではなく辛口へと生かした。

米由来の発酵食品として甘酸っぱいのは、『理の当然』である。その意味において素直な出来とも言える。だとすれば何故新政が斯くも注目されるのか。

社長の各種パフォマンスとパッケージング、造りのギミック等枝葉末節はこの際置いて、甘じょっぱいの肝、と、僕が観るシュワシュワ感を考える。

先日、人間ドックの際野飲まされたブドウ糖炭酸液の感想を書いた。炭酸が無ければ甘だるい液体で胸焼けするかも。驚きはそのガスによって酸味すら錯覚し砂糖水にボディ感すら感じた。

これである。

味覚の基本五味に。甘・酸・塩・苦・旨があると分析される。ここに辛(ラー)が無い事に注目である。辛は味覚ではなく痛覚すなわち痛覚である。従って身体の到る所で辛を感応する。メンソレータムを使った「オイタ」などは中高の運動部でよく聞いた。

ここに炭酸のシュワシュワ感が味覚ではないが口中と言う身体の一部が感応する刺激として意識される。日本酒業界では滓引きタンクへ引かずに上槽機から瓶へ引き込む『甕口』という手法が最近観られるが、あれのもっと意識的なそれである。「アレ」の「ソレ」とは・・・・痴呆老人同士の会話か。

炭酸が多いと苦味寄りの酸味とボディ感が出ることはシャンパンで判るし、端的に「ガス入り砂糖水」の飲用感が証明する。

各種酒の試飲会場における「新政」を想像してみる。1.8Lの製品は非常に稀な例外ゆえ試飲会場には720ml瓶が並ぶ。しかも冷えた状態である。開場と同時に開栓、勢い良くガスの乗ったまま720mlは俊殺!次の四合瓶も同様。これが1.8Lだったら瓶が空く頃には品温は上がりガスの勢いも弱くなっているだろう。

試飲用の小ぶりのプラカップは何時利いても甘酸っぱくピッチピチ。大瀧詠一の『サイダァ~~』の世界である。正直に言おう。ポップで楽しい。褒めていない。鼠ィ―ランドがワンダー、と同価値である。名だたる(らしい)料理人やポン酒評論家でこれを絶賛する連中の価値観はネズミ王国水準である。断っておくがネズミの価値観もカラスの勝手である。

がしかし、日本酒を食生活の一部と位置付けた時、メインとして卓上に置けるか。

「世風に流されてええ加減ぬかすなボケェ」と独り言。

不味いか旨いかに答えるとすると食事と言う世界におけば、食後のデザートのアイスクリームと考えると、良く出来ている。

ちなみに新政瑠璃ラベルを開栓常温放置4日目である。湯煎してみた。ほどよくはんなりと旨味があがる。基本的に淡麗な綺麗な酒である。化粧を落としてスッピンの燗。誰か試したろうか。ほっとする優しさがある。お勧めである。

スクリュウキャップの内部に樹脂製の中蓋(突起)が見える。ガスを保持する仕掛けだ。

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# by sasatatsu | 2017-04-24 18:56 | 酒の味 | Comments(0)

新政と6号酵母

ここ最近は随分と落ち着きを取戻したかに見える。言う所の「アラマサカ、だっせーな」現象である。

獺祭については勝谷が本を書いたり蔵の社長がマスゴミに露出したりで落ち着いた。と言うより、大増石によって酒が潤沢に廻るようになった事が原因だろう。

某「黒」飲食店群にもPBで供給される。蛇口が大きくなり基タンクもそれなりとなったのだろう。この次に何が起こるか。製品群の差別化が精米歩合だけである事実が酒質の観点からネックとなろう。最も黒い酒で山田50ではタダでさえ熟成の遅い山田だもの、全て薄く水っぽい。価格に対応した飲み応えが足りない

と、お試し需要の次の要求が出るだろう。

それに比して新政は圧倒的に供給が不足しているように見える。まだまだお試し需要が存在する。ある程度の安定供給は蔵の責務と思うが、価値観が違うのだろう。

獺祭は呑めば判るの一語に尽きるが、新政は意固地なほどのストイック加減につき考察が必要であろう。現社長祐輔氏のブログを読み続けて居られる向きは知識として蓄積されているだろう。当方も極々稀に参考として覗く程度だが、読解力が求められ難儀する。

秋田の地酒屋ではあるが新政についての現在はアウトサイダー的位置からの観測となる。酒質の事、売り方の事、造りのあれこれ等など流石に課題一杯の蔵ではある。少なくとも呑めば判る程に単純明快ではない。実はこの項で3本目である。観察して書き始めると以外やイガイ、手強いのだ。

それで、テーマを絞る事にする。それでも第一発のテーマ「6号酵母」はでかすぎる。複数回となるかもしれない。地酒屋として地元6号を掘り下げると地元故、気候水その他地政学的要因も見えてしまい難儀する。

そこまでして何故である。真っ当に正面から「商売」ぬきで語られていない悲劇性にかつて「第二の創業」の始まりを観た者として記録する義務を感じた。

本題である。

協会6号酵母、略称6号酵母が「新政酵母」である。小川酵母とか香露酵母、金沢酵母、真澄酵母、池見(金沢)酵母、静岡酵母のように「新政」と呼ばれることは少し前まで無かった。名称の付いた酵母はたいていそのオリジンが語られる。すなわち存在する。が新政についてはその分離培養登録が昭和10年と現行協会酵母としては恐ろしく古い(最古)事、戦争を挟んでいる事、加えて普通酒大増産時代がつい10年前であった事、最大の要因は全国的にもっぱら普通酒用酵母として普及した事、が要因で『新政』という名が旗印とならなかった。

とうの本家さんの先代社長時代を秋田へ流れ着いて以来よく存じ上げるが、品質本位というか6号酵母発祥の地と言う誇り、は、どちらかと言えばダストのそれに観得た。そんな6号が今や泣く子も黙る『ナンバーシックス』へと大変身した訳は何処にある。不思議に思った事が僕にとっての始めである。

6号始め7910・(12)・15G-7グループは全て吟醸酵母としての出自である。15号は漏れ聞くに7号の変形選抜として7号と看做す。ほとんど現在使われない8号はついこの前まで6号の変異株と教科書にあった。最新の遺伝子解析によって野生酵母の一種としてG7グループに包括されないとなった。

これら伝統的酵母(シングルナンバーズ)は全て6号の遺伝子が基になっている。出自が吟醸酵母と書いた。伝統的吟醸造りは貧栄養(高精白)超低温発酵が基本である。伝統的(クラシカル)の部分は記憶願いたい。

ここで吟醸酵母について一言。名古屋局で言う伝統的吟醸酵母に対し非伝統的とは言わずクラシックに対するモダーンとして現代型酵母と呼ぶ。多くがカプエチ系だがM31010号のバイオ処理、18019号のそれである事から判る様に伝統的はモロミの使用酵母が環境的(醸造的)影響による変異を起した物であるに対し、現代的は実験室において一定の目的達成を目指して生物化学技術で改良(改変)された酵母である。

では伝統的吟醸酵母のオリジンたる「新政酵母」は如何にして生まれたか、である。協会登録がS10年と言う事はその前にしかるべき実績がなければ優良酵母と評価されない。吟醸造りの要諦の一つである高精米には縦型精米機が必須である。文献では1930年(S5年)に作られたと有る。導入されたかされなかったかぎりぎりの所である。原料米は「亀の尾」であろう。当時の東北地方などの寒冷地では米は全て亀の尾のみという時代と聞く。雄町は既に存在するが使用したとしても出品用の特殊な用途のみでタンク1本程度と見る。

酵母はおそらく生モト無添加、即ち蔵付き酵母であろう。

新政酵母の分離培養者として小穴技師の名が挙がるが実質的な技術指導は花岡正庸技師である。その指導は徹底した米の精白と長期低温発酵にあった。

花岡技師は暖地である四国の蔵の指導の後、大正7年に仙台局宮城県に赴任した。その際痛感した事が原料米の質の悪さ(小粒で硬質)と精白程度の悪さだと言う。その対策として徹底した精米と低温発酵を指導した。仙台局の鑑定官の多くが彼の指導法に疑問を持ったらしい。当然のこと蔵元も聞く耳を持たなかった。ところが秋田県だけは彼と相性が良かったらしい。原因は不詳である。今の秋田を眺めていると益々持って首を傾げる。

新政酵母発祥時の佐藤卯兵衛(卯三郎)の酒造りにかける情熱は鬼気迫る物が有ったようで、身の周りに気を使う余力も無く髪から蛆が湧くのではないかと言われたとか、記憶が確かではないが没頭の様を想像できよう。

米を徹底的に磨くと言っても縦型精米機の無い当時510回繰り返す精白を20回以上させたと記録にある。どれ程の精米歩合かは実験した事が無いので不詳だが当時の超が付く常識外れには違いない。しかも低温で長期醗酵は灘伏見の造りが標準であるこの時代実験的に過ぎる。本当は今もそうなのだが米は大変な貴重品であった。現代日本でも石油が無ければ米一粒も作れない現実に危惧しない日本人って阿呆かいな、と公言はしない。

貴重な米を削って多くを糠とする事、更にモロミも長期にわたり低温下に置くことは醗酵停止即ち腐造のおそれ大である。高精米に長期低温発酵と現代技術で考えれば『それって吟醸造りの要諦だ』であるが当時の学問水準では解析不能だったろう。

卯三郎の新政における酒造りは空前絶後のそれであった。モロミの置かれた環境は長期低温に加えて米が白い「吟醸造り」である。これで酒が出来ればそしてそれが旨ければ(事実はその通りゆえ協会酵母になる)そのモロミから分離培養される酵母は「吟醸型」となる。15号までは西の暖地に於ける前急型早湧きタイプであったろう。低温長期醗酵に耐え得る酵母として日本で初めて醸造的に誕生したのが佐藤卯三郎による新政の酒であり、それが6号として確立された。昭和10年からこの方つい最近まで日本の清酒酵母のゴッドマザーであった。思うに6号なかりせば「吟醸」も無かったかも知れない。歴史に「もし」は無い。正確に言えば現行の形の吟醸は6号を基礎に出来上がった。

当時の環境に出来るだけ近づけたいのか実験室に於ける技術的醸造でなく出来るだけ始原的醸造環境を求めて6号を誕生当時に戻したいのか。

現行新政の意図を外から見ると斯く見える。とするなら秘醸酒シリーズは考慮の余地ありだろう。僕がこう言う前に既に考えているだろう。

古来、和醸良酒と言われる。志を同じくして酒造りに向かう事が和醸である。

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# by sasatatsu | 2017-04-21 19:15 | 酒の味 | Comments(0)

騙されてはいけないの続き。

今上天皇のご退位についての有識者検討会なる物が国営放送のニュウスになった。これについては似非左翼アカヒが一昨日から連載記事を載せている(4/14時点)。

内容についてどうこう言える知識も無い。この場で意見を言う気も無い。

ただ、非常に憤ることが一点在る。

「有識者会議」であるこの実体について誰が如何選ぶのか、につき一般に公開されているのだろうか。手続きの公明性が担保されているのか。更に加えて選定基準の公平性を言うと「価値観の対立」が起こるのでせめて「透明性」程度の担保があるのか。

311の「敗戦」ではっきりした事の一つにこの種の政府というか行政が公の意見を聞く場としての諮問委員会・審議会もっと公式には各種行政委員会と言う物にその実体が無い事である。

実体とは何か。諮問した事項についての「責任」である。

例えば311の福一の事故についてでは予想不可能の未曾有の現象では無かった。第一次AB内閣の時に将来起こるであろう事態にして現実化した津波被害につき、日本共産党の議員が質問しており、ABが「あり得無い事に付き回答できない」みたいな返答をしている。日共の議員は歴史事実を根拠に質問している。

政治家がこれを無視して惨事を招けばその責任は選挙に於ける落選である。

しかるに第二次ABキャビネットが存在するのは何故だ。

『選挙民が阿呆やから』につきる。

ではこの危険性の指摘を国会と言う国の最高の議論の場で明白にされた原発の安全性に対する各種審議会委員はどうしたか。

誰一人責任を取って腹を切ったか。あの田中某というおっさんのまさに蛙の面にションベン風表情が象徴する。

間違えば監獄、賠償金とまで行かなくとも少なくともプロ即ちその道の専門家としては社会的に抹殺さるべきである。

オボオボナンチャッテの上司は自死した。経過を明らかにせず自死した事は科学者として無責任の謗りを免れない。間違いなら何処で如何間違えたか明らかにする事が科学者の社会的使命である。死者に尚鞭打つかと言われるだろうが、科学者として碌を食むとはそう言う事である。

経験的に各種委員会は時の行政府の方針を忖度してお墨付きを与えるお飾りである。僕も地方行政ではあるが何とか委員を23存じ上げるがあの程度で学識とは、まあ選ぶのが学識ある痴呆公務員ゆえ。一言、税金の無駄である。

アカヒが連載中の記事に依れば、AB内閣は今上天皇の御意に反する意見の連中を選んだようだ。

天皇の意見表明でこの様に法の改正、ましてや『畏れ多い』皇室典範に手を加える等、憲法の言う象徴天皇制に反する等としたり顔の意見。

馬鹿も休み休み言え、である。

そもそも象徴とは旗、徽章、山や樹木、せめて動物がそれ足りうる。生身の人間(戦前ならこの表現で僕はお縄だね)を象徴と規定する事が間違っている。

これは僕個人の意見では無く40年前の憲法の教科書に書いてあった。

法は文書として存在するだけでは「意味」はない。それとして社会的に適用されて創めて法となる。

その意味では歴史上初めて象徴として憲法に規定された存在としての今上天皇のお過ごし方を拝見する時、「国民統合の象徴」の民主主義憲法としての実体をお創りになった。今上天皇における実践的創憲作業として憲法学者は論文をこそ書くべきで、天皇による政治的行為などとクレームを付ける前に、80を越すご老体をそれと知ってご公務を強いる非人間性を恥ずべきだ。

昭和天皇が現行憲法下において只一回、首をひねった決済事項が有ると聞く。

ABが尊敬し敬愛して止まないグランパにしてC I Aのエージェント岸信介の総理大臣就任認証印を押す時にきゃつの名前を指差したと聞く。

その孫にしてグランパの夢の実現が生甲斐の男の息のかかったイエスマン集団が中立を装って具申する。

「何時までも有ると思うな親と金」である。

国民が自発的に議論を始める事こそ今生天皇が為されてきた創憲行為に報いるそれである。こうして憲法が国民の物となる。ABが代表する勢力はその事を最も嫌う。


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# by sasatatsu | 2017-04-16 18:55 | いいたい放題 | Comments(0)

農口尚彦と言えばNHKがプロッフェッショナル仕事の流儀「魂の酒」としてドキュメンタリィをやらかして有名になった。

マスゴミで囃されて六な事はない。ロクは我が家の看板犬。六番はどこぞやの旗頭、6番バッターではない。

酒小売にすれば泣く子も黙るそれではある。

マスゴミのゴミたる所以は後始末をしない事である。農口が造ってもいないのに依然としてその名を使う。他所様の下帯で八卦よいよい、の、典型例である。

何のことか気になる向きは、農口尚彦で検索しそこに出る「たまねぎ屋」のHPを閲覧されると良い。

農口杜氏の造った酒は確かに旨い。問題は酒と人物を繋げる事だ。立派な人物が良い酒を造る・・・・・・ウッソピョーーン。

ザッハリッヒに物を観察すべきである。最近の世界政治においてカラー革命が流行った。マスゴミが囃し立てた。10年も経ていない現在の現実を観るが良い。

栗金団婆即ちダメリカ軍産共同体による、人肉食である。叩けば蝿を落とすより簡単に落とせるお隣半島上半分を「泳がせる」のは訳があろう。

さてパチンコの売り上げは全国総計で数兆円にのぼる。その多くの経営者がお向かいの国でその少なくない割合が上半分である。ここに至る事情には止むを得ない点が多々有る。愛国心から故郷へ送金する気持ちも日本に居るがゆえ一層高まりもしよう。がしかし、送金する事が多くの上半分の国民を結果として苦しませる事実に目が行かないのだろう。

農口尚彦の話だった。戻す。

農口が「常きげん」を辞めて、その後には彼が11年間教えた木谷さんが杜氏となった。

木谷杜氏の酒で特定のタンクが『益荒男』として限定流通する。農口氏の後、立派に能登流を保っている。能登杜氏集団の「凄い」所は、後継者の育成が意識的に(おそらく組織的)に為される所である。

38日、東京の展示会で農口氏の退職期の5年貯蔵とやらを利いた。物は五百万石65%の山廃純米原酒であった。時節柄、新酒の展示会である。そこにあって5年貯蔵熟成酒は瑞みずしさすら漂う。よほど強い酒なのだろう。

現場でこれを利いて直ぐ僕がやった事はこの酒のある「常きげん」のブースに並ぶ木谷杜氏の五百万石65%山米と比較する事である。

直感であるが「確かに引き継がれている」80歳の農口と40に届くか届かないかという若手の木谷と同等レベルである。新杜氏を褒める所であろう。

2週間ほど前と記憶する(この間に実父がピンピンコロリで長男であるおいらが喪主。慣れない葬式で未だパニクッテ居る)。農口の忘れ形見(当人は生きているが)の5年貯蔵原酒。『益荒男 極』が入荷。その前からあった木谷杜氏の益荒男生原酒とを飲み比べた。確かに38日の感応は間違い無い。食卓の向こう側に居た我が飼い主の娘に両方を利かせた。両方をクチュクチュして感想だ

「確かに再現性がある」・・・・・再現性だと、なぬ・・・・・。

継続性とか能登流とか、似ているとかならまだ判る。再現性と来たもんだ。当の本人は無意識だろうが、同一人物による5年後の同じ酒の製造、即ち再現と呼んだ方がぴったり来るインパクトであった。その1週間後、もう一度比べた。生原酒の方は能登流特有の『生老ね』が目立つ物の連続性を認められる。

この酒のラベルだが右上に金箔で益荒男とあり真ん中に山廃純米 極 熟成原酒とあるだけだ。農口の「の」の字も5年の「ご」も無い。

酒の味は如何にを書けと言われそうだ。清く正しい7号酵母と五百万石純米である。ともすれば寂しくなる繊細な五百万石を山廃で醸すとこうなる。能登流の十八番である。この酒のセールストークに農口杜氏常きげん最後の置き土産とか、農口杜氏の後継者がとか『農口尚彦』の名を使う向きが少なくない。

確かに農口の酒は卓越した技量のそれである。しかし常きげんにおける農口はここを辞める数年前は既に木谷さんの仕事であろう。

看板をみて中身を検証しない姿勢は如何なものか。そういう売り方もおかしい。その意味では現行の「常」の売り方は感心しない。この「極」にしても原酒とは言え5年貯蔵であの瑞々しさ。驚く無かれ、タンク貯蔵という。

新酒時の原酒を観、火入れしてサーマルタンク(だと思う)で氷温貯蔵させよう。と考えた誰かさん(ひょっとすると農口氏)の判断とこれを5年寝かせ我慢した蔵元が立派である。

何処かで見かけたら、その時はかなりの確立で益荒男山廃純米か同生原酒も在るであろう。是非二つを飲み比べて欲しい。伝統を引き継ぐと言うともすれば現代日本人が価値を忘れた貴重な体験を持てる。思うにこの時期が半年遅れてもまた早くても斯く行くかどうか。幸運とはこの事だろう。
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# by sasatatsu | 2017-04-16 16:54 | お勧め | Comments(0)