にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

NHKが最高裁でその料金徴収のお墨付きをもらった。その昔、まだ現行憲法が出来立てのほやほやの頃である。朝鮮戦争を経験してこの国の政治は「イワユル逆風」となる。逆風という価値判断は「岩波朝日文化」を基礎とする基準だ。

順風ですすめばどうなったろう。歴史に「IF」は無い。少なくとも現行のアメポチABのようなアナログ反動ではなかったろう。

時代に棹差す判決が出ても「まだ最高裁がある」とその昔、最高裁が希望の灯だったのだ。

この頃の下級審判事の齢と学歴と最高裁判事のそれとを比較すると面白い研究になるかも。

現代では反対の意味で「まだ最高裁がある」と言われる。

一定数の国民がNHKに聴視料を払いたくないと抗弁する。これにたいして天下の国営放送は裁判に訴えた。

新聞社の報道が気に入らなければ購読しなければ良い、選択の自由がある。では民放は。チャンネルを選ばれないと、低視聴率となり広告主に高く売れない。究極は広告主の商品の不買運動もある。民間報道機関が国民の公共財たる電波を不当に使った場合、国民が抗議して実質を取る方法はある。しかるにNHKTV受像機を持てば料金支払い義務が発生する。それを否定しても裁判で契約を強制され(これって民法のいう合意即ち契約といえるのか)、遡って課料される。NHKは国家権力の強制力(判決の実質化)を究極の頼りとする。第四権としてジャーナリストたることを放棄している。NHKという組織がそうで在っても職員は違うと言いたいのなら闘うべきである。高給取りよ左様なら、こんじょ梨。

もっとも、真のジャーナリストとは本質的にフリーランスである。

人間は霞を食っては生きていけない。資本主義体制において個人がフリーランスで生計を立てるのは困難である。何かの組織・集団として助け合いながらフリーランスのせめてもその精神を共有し維持することである。

日本国営放送ではなく日本放送協会という放送法を根拠に持つ特殊法人として非営利団体である。この点は民放が営利法人で有る事と大きく違う。

其処の代表がセーフの言う事と違う事はいえねー、だからね。この通りにすれば

モリカケ蕎麦とレイプ野郎のはなしは今頃、闇鍋でウマウマと酒喰らって高枕だ。権力の利益と国民の利益とは相反する事がしばしば。其処へ命を懸けて(タックスヘイブンを暴いた女性記者は爆殺された!)切り込むから国民の支持がある。何も権力から強制されずとも、必要と感じれば身銭は切る。オバカが並んでアヘヘと拍手するバラエティもどきの裏番組でETVを観て見るがいい。金を払ってもこの水準を維持せん事には、ホントに一億総白痴。やべ、と思う。

国の強制力を頼る言論機関とはそもそも表現の自由にそぐわない。

9条違憲以上に憲法学者が論ずるかと思いきや、なんざんしょこのザマは。

学者は社会にどう貢献するか。の漫画版が要るのか。


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# by sasatatsu | 2017-12-13 15:44 | いいたい放題 | Comments(0)

最近の日本酒ブームを受けて弊店の客層も随分換わってきた。従来からの所謂「地酒ファン」はその市場における「在り方」をご存知ゆえ、会話が成立する

例えば最近目立ってきた「黒龍」を例に話そう。お断りするがあくまでも日本一の井の中の蛙県秋田の事である。弊店が黒龍の正規取り扱いになって23年位経つ。販売努力不足なのだが(仮に努力しても需要を常に満たすだけの供給は無理である)この7年近くやっとその酒質が秋田で認知され始めた。

通常、月一で予約どおりに入荷する。入荷後2週間で在庫が無くなる。と書くと「売れてんじゃねー、いいなー。」と茶々入れられそうだが、それ程に入荷量が少ないのだ。斯くも販売量が少なくとも正規取引が続くのは、この20年近く弊店から黒龍を購入し「美味しいねえ」と喜んでいただけるお客様があり、供給側も数少ない(全国的な評判からみれば雀の涙以下の数)黒龍ファンのため非効率を覚悟に弊店に流してくれる。某有名銘柄は15年前東京の小さな地酒屋から売れ出して、今では当時の百倍も売ると聞くが、そこに至る過程で効率の悪い弱小店の扱いはどうだったろう。今では北海道の端っこでも購入できるまでになったそうだ。ではデビュウ当初の火付け元は今どれ程残っていよう。

黒龍は「売れるから売る」銘柄では無い。正確に言えば欲しい方に購入していただく銘柄である。

黒龍を理解されるお客様はご用命の際、

「コクリュウをくれ」とは仰らない。現実に、こう言うご注文の向きには

「黒龍の何でしょうか」と伺う。大方は

「えっ、色々あるの。」と鳩が豆鉄砲状態になる。

もしくは「しずく、石田屋、仁左衛門、あるかい」である。

占い酒屋といわれる所以だが、こう言う向きには

「お渡しできる黒龍は有りません」と先ずお話しする。

その次に何故黒龍なのかを伺いつつ単なる「銘柄ハンティング」なのか「名酒探求」なのか、後者として欠品中(が月の3週)の黒龍に代わってお客様の嗜好を満たす酒をご提案する。等の対応を取らせていただく。

「銘柄ハンティング」の場合はネットでどうぞ、でクリアする。

問題は「名酒探求」もしくは「チョイ飲み体験」でお探しの場合に、ご本人ではなく『代理人』のばあいである。この場合ほとんどが「俺は酒の事を知らない」もしくは「酒を飲まない」が「頼まれて黒龍の看板のあるここへ来た」と仰る。

その昔(未だにかも)、高清水・新政・剣菱・月桂冠と呼べばその標準製品が入手出来た経験層である。

麦酒なんぞは現実の現場が「ドライ一丁」とか「ハイ、生一丁ね」という世界である。何故かだが。嗜好が細分化していない、換言すれば文化程度が「工業文明」である。日本酒で言えば弊店のお向かいにある大型スーパーの酒売り場が「文明の酒・工業製品」である。一定水準の品質とお財布に優しい価格。スーパーにおける大量生産工業品は性質上価格競争となる。従ってパック酒や缶ビールなど最寄商品は原価に毛の生えた価格で売る。それに吊られたオカーサンやリタイヤ貴族が酒のついでに大根1本、惣菜コロッケ2個も買えば商売成立。こう言う酒・麦酒を「マグネット商品」と呼ぶ。その象徴が1パック百円の鶏卵である。

大資本(当方から観ればだ)が金にアカシテ、マグネット商品を扱う目の前で佐々辰は同じアルコール飲料は扱えない。

当然の事、要説明製品の最たる物の一つ「本物の地酒」に特化する。さすれば「売り方」も一般常識から観れば一見?非常識となる。

世情いわれる所の『お客様は神様』ではない。実はこの言葉を聞くと「お客様は鴨ねぎ」に聞こえてしまうへそ曲がりである。当方にとってお客様は「旨い酒に悩める同胞」である。一緒に悩んで「旨い」を発見していただく。

「パケは飲めない。それに金掛けるなら米を削れ」と言う価値観である。有名デザイナーだ、ブーシッツ。

数カ月前から新政の6シリーズの一部(種々あるそうだ)とエクリュ・ラズリを扱う。地酒屋としてみるとき、ほとんどの新政狙いの客層は弊店の顧客足り得ない。地酒の嗜みとは、酒屋萬流を体験することと言える。しかるに「6」始め新政をお求めの向きはそれにしか目が行かない。つい先ほどもドアーをくぐって来店客が。匂うのだ「こいつはアラ真坂だ」と。ショウケースに向って黙って1分。

「何かお探しの」と声掛けしても沈黙。しばらくして踵を返すと無言でドアーの向こうへ。

日本酒ブームというがその実体は何だろう。当方は売れ筋を持たぬゆえ外野から物言いだが、ブームの中のお店は売れるものを売って何が悪いだろう。

そう、おっしゃる通り『負け狗の遠吠え』である
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# by sasatatsu | 2017-12-08 14:00 | 酒の売り方・買い方 | Comments(3)

吟醸系と非吟醸系とに大雑把に分類する事の根拠は現代醸造技術の驚異的発達にある。つい40年前まで、50%も磨けば出品クラスだ。霧筑波30周年記念酒として30年前の鑑評会銀賞酒が出た。スペックは美山錦50%であった。

今では30%とか23%とか極端な物は8%とかが出る。精米機が優秀になった。

60%以上の精白の意義は伝統的吟醸造りにはあった。と言うのは訳がある。現代においては厳密な吟醸造りをせずとも酵母が勝手に吟醸香を生成する。

70%でも吟醸香を出せる。

弊店はこういう現状に対し造りに依る吟醸酒とあえて吟醸酒質を外した日本酒に分類してみた。

吟醸造りを外した酒の筆頭は菊鷹山廃本醸造ひやおろしである。剣菱へ桶売りするタンクを10月下旬の外気が冷卸(火入なし)に耐えるまで待って詰める。

一夏の蔵内常温熟成の正しい姿。19度あるので加水燗もよし。これに対して昔では出来なかった低温熟成2夏越しが霧筑波である。この蔵は生も火入もマイナス5℃で熟成させるのが従来の方法だった。実は生酒はこれでいいのだが火入酒は酒が動かない。そこで15℃で寝かす事で老ねではない綺麗な「てり」の有る熟成純米をと実験したのが2夏越えの冷卸である。冷卸の本質は原酒一回火入一夏熟成などと言うスペックでは無く、自社の酒を老ねさせる事なく自分の酒を飲み頃へ熟成させる事に有る。正反対の方向で実践された熟成だが豪快な豊醸と静謐なそれ。見事な好対照である。

喜楽長特純ひやおろしは現代の技法で正しく瓶燗火入れ一夏熟成させた「見本」の様な酒である。実はこの酒が今回の吟醸酒へとつなぐのである。

規格は「山田錦/吟吹雪60%純米で能登流による金沢酵母」である。これと全く同じが、松の司純吟楽である。片や特本、もう一方は純吟である。同一規格ながら特純と純吟である。確かに楽に華やかさを認め得る。旨い酒と言う意味ではどちらでもいいのだが、非吟醸純米から吟醸純米への微妙な移行が面白い。

純吟楽は最新の分類では伝統的(古典的)吟醸である。では最新の吟醸とは、である。玉柏純吟ひやおろしがそれである。山田錦50%におそらく1801号であろう。以前までは同じスペックで特別純米を標榜したが純吟表示となった。

カプブリの酒で有るがその中では品の良い部類である。特純表示だが酵母の特性による吟醸酒質として凌駕がある。詳細は不明だが酵母は新潟9号(G9)と思われる。9号だから酢イソ系かと思えば、どっこいカプエチが強い。典型的なカプエチ酵母1801も基株は9号である。酢イソとカプエチとのバランスで酒質を決める段階に来ている典型例。

そして松の司純吟5528BYである。従来ここの一般市販酒は金沢酵母主体である。しかしどういうわけか28BY山田55純吟火入に関しては、カプエチが漂う。

ブルータスお前もか、である。ぎんじょう


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# by sasatatsu | 2017-12-07 19:54 | 酒の味 | Comments(0)

帰って来たヨッパライ

今日は127日である。昨夜の事、暫くぶりにお目にかかったお客様で通称『ロクのおじさん』が言うのだ。

「山田さんしばらくブログがお留守ですね。もうヒト月も経つかな」である。

確かに娑婆を離れるお断りを書いたのが11/06だから丁度1カ月である。

脳卒中の後遺症で硬直した左側の下肢(ウン?硬直した下・・・・)を薬剤で弛緩させる治療の為、入院していた。

12年前に約半年ほど脳卒中の回復期治療でお世話になった病院である。馴染みの介護師さんや療法士さんも見た。驚いたのは看護師はじめ職員の皆さんが、おやまぁと言うくらい若いのだ。1週間も経った頃、フと気が付いた。12年前の記憶が基で今の印象がある。相対的に見れば「テメーが爺になっただけ」と「真実」に気が付かされ、多少気落ちした。正月は冥土の旅の・・・・。

病室にはTVもラジオも(この段階で化石か)はもとよりスマホ等はそもそも持ち合わせない。外界の情報は食堂のTVと一日遅れで着替えと届く新聞だけ。

この5年間、難しくて読めなかった沢登佳人先生の「生命とは何ぞや」に取り組み、疲れると新書をよんでリラックスと、贅沢な時間を過ごした。

ブログ用の原稿も数本造った。

退院して店に立って実感した事が有る。リハビリ入院とは言え,空いた時間はベッドで過ごせる環境に居れば基礎体力が落ちる、であった。

酒屋商売とは言え、世間一般の品揃えでは無い。重い物といえば精々一升瓶である。6本ケースの時は通称「コロコロ」と呼ぶ親友の手造り台車で運ぶ。労働の大半は酒の選定と解説、という妖しい酒屋である。

初見のお客様の多くは自動ドアをくぐってオモムロに

「あのー、お酒屋さんですか。」で

「ハイ酒屋です。」に

「お酒、売ってもらえますか」とお尋ねである。

「お酒しかないですがそれで良ければ」

と、こうして文に起すとトンデモ会話である。そのうち潰れるね。そして世間の酒屋さんが『ザマー』と随喜の涙を・・・・。

これっぽちの仕事でさえも身体的に厳しい。店を閉めてお風呂に入り(それすら億劫な程疲れる時も有る)自称「利き酒業務!」に入る。2週間立派に禁酒を務められた故、多分「アル中ール・乱暴」では無かろう(コホン、ゲホっ)。

更に加えて12年ぶりに柔軟性が出た身体の操作に注意等など、ブログアップが滞った一因である。

実はもっと大きい原因があった。入院中の2週間、もっぱら『真・善・美』の本質を最新の物理学を参考に学ぶ作業だった。リベラル・アーツの真骨頂である。

俗世の垢を落とし、水清ければ魚棲まぬ精神状態で退院した。

そして嫌でも情報の嵐に揉まれる。静かな環境で書いたブログの斜め上を飛んでいく現実を改めて観るに、虚無感といえばかっこ良過ぎだ、もっと泥臭い諦めと言うか穴が開いたままの感情が押し寄せる。

と、ここまで書ける様に回復した。

酒の話を、と思うが「論」まで頭がついて行かない。ただし、インスピレーションは働く。その結果たる事実を次項で。


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# by sasatatsu | 2017-12-07 14:53 | その他 | Comments(2)

日本酒の本分

ここ暫くブログの更新が無い。は、現象だ。主体的な言葉としては「出来ない」である。文字を綴る作業はやっている。しかし、文章が出来ると現実があまりに斜め上を飛んでいる事に気が付きブログアップの気力が出ない。

と書いて来て気が付いた。現実をクリティカルに観るからその落差に気が滅入るのだ。こう言う時は如何にすべきか。

原理原則へ戻る事だ。もっとも、原理原則が判るということが大変難儀である。

例えば本日(11/06)の朝日新聞が大々的にスクープしている話題だ。世界中のお金持ち、金銭欲から超越したと思しきアーティスト、マドンナとかU2!のボノまでもがタックスヘイブンで節税(事実上の脱税)をしている。

ここにおける原理原則とは。

「テメーの才覚で稼いだテメーの金だ如何使おうが違法でなければ文句あっか」

である。個人(世に言う所の成功者)としての『素の感情』である。

バブル真っ盛りの頃だ、大昭和製紙の当時名誉会長であった斉藤了英とか言う俗物が(その一族だったかトーダイ卒の賢い社長は塀の向こうに)ゴッホの絵を買い「死んだら棺桶に入れて一緒に焼いて欲しい」と言った。

世界中から非難轟々だった記憶がある。斉藤某の才覚で稼いだであろうテメーの金でかったゴッホだそれを如何処分しようが勝手のはず。何故にして非難されるのか。ゴッホの絵は人類の文化であり私すべきものでは無いからだ。ではそれを私財を費やして自分の物とすることは許されるのか。

お金持ちがその財を投じて美術品や博物を収集する事は日本でも欧米でもそれなりの文化の有る国ではよく見られる。特にその財が独裁政治ではなく広い意味での交易による物である時が共通項なように感じる。

交易(商売)と言う文化には「財」は個人の物では無く世間様から預かった物という気風というか規範が有るのだろう。

タックスヘイブン問題でパンピーが感じる違和感は決して貧乏人の僻みではない。交易文化に生きる生活者としての規範がそう感じさせる。商品交換社会における文化と言えよう。脱税に汲々とする金持ちをして「いけず」と呼ぶのでは無いか。グレートブリッテンの女王様も「いけず」だったらしい。もっともあの国が豊かになった切っ掛けは国営海賊行為に植民地経営だからお里が知れる。

でもって日本酒の場合は何だろう。

篠田次郎が吟醸酒を称して『日本酒から生まれた日本酒では無い日本酒・百年に一つの酒質』と吟醸酒への招待(中公新書)で書いている。

我々は米由来の醸造酒を一括して日本酒と呼んで論ずるのが一般である。ご飯の延長上にある栄養補助食品としてのドブロクと主に室町以降だと思うが,商品として発展した売り酒を分けて考えるべきだろう。

アルコール飲料の2大本質である致酔性と嗜好性のうち、文化として言葉に昇華させるのは嗜好性であろう。

その嗜好性も、軟水醸造法がもたらした長期低温発酵と米白ければ酒旨しと言う言い伝え(科学で実証された)から発生した飲む酒と利く酒の分化という観点から観察すべきかと。そして「飲む」と「利く」の分化について日本酒の本分(本質とは言わない)は何処にあるのか。

この3週間ほど霧筑波の純米冷卸、山陰東郷生モト純米強力、菊鷹山廃本醸造冷卸と酒を喰らいつつ、最近の気になった吟醸を並行して飲むうちに、当方の頭の中でうっすらと見えた感情らしき物がある。

日本酒の本分は食にある。

今更ながら確信した。ここから酒を語るべきであろう。と、ひとりごちた。

訳有って明日からしばらく、娑婆を離れる。

でわでわ。


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# by sasatatsu | 2017-11-06 19:16 | 酒の味 | Comments(0)