にほんしゅのせかい 言いたい放題


by sasatatsu

本日の 秋田のお酒

どうしても酒を語らねばならない時が在る。酒宴用にお酒を並べ、一言コメント、なんて時である。目の前の酒を飲むのだから特別「語り」は必要ない。訳ではない。飲んで旨ければ文句なしなのだが、如何に旨いか、この風合いの違いは何なのかの手掛かりがあると旨さが違うらしい。

昨日(8/18)「秋田の酒」と称して数少ない弊店の在庫を精一杯並べカテゴライズ?した。


購入可能となったこの3年近く地酒ブームを牽引してきた代表銘柄が獺祭新政である。獺祭は今や5万石(一升瓶で500万本)で北海道の北の果てでも。

一方の新政はマスコミの騒ぎ方に対して供給数が圧倒的に少なく経済学で言う所の「情報の非対称性」現象が未だに続く。特に「№6シリーズ」に顕著である。

6 TypeXR 協会6号酵母(新政酵母)をシンボライズした。最近の遺伝子解析のよって、昭和の3年頃に分離培養された新政酵母が現在の清酒酵母のオリジンである事が判明した。これの意味する醸造学史的研究が待たれる。コース料理で言えばデザートのアイスクリームと例えるべきか。グイと飲むよりチョロリと啜る方が旨い。

現在市場に流通する日本酒のタイプは酵母のそれでみると南国の赤く熟れた果実を想わせる『カプロン酸エチルエステル系』と硬質で透明克爽快な『酢酸イソアミル系』に大きく2分出来る。最近では『酢イソ系』を伝統的吟醸酵母と呼ぶ所も出て来た(国税名古屋局)。

本日の秋田のお酒をこの分類法で分けて見る。

カプエチ系

まんさくの花 杜氏選抜 純米大吟醸

美酒の設計

秋田を代表する名杜氏日の丸の高橋良治氏と雪の茅舎高橋藤一氏が最高の酒米山田錦を現代酵母で醸す。

吟´

創業530年を超える日本で3番目に古い蔵で知られる飛良泉の酒。この蔵の大吟醸・純米大吟醸のタンクの責め取りと滓引きの上澄みだけを合併した。ナンチャッテ吟醸と謙遜して『吟ダッシュ』である。

鳥海山 吟味良香

鳥海山の内陸部、矢島の蔵、天寿の準PB酒。カプエチ酵母の中でも有名なM310系の変形酵母。火入れ熟成により味わい深い。

酢イソ系

雪の美人 純米吟醸

秋田県人にして名酒造技師だった池見元宏由来の1401酵母と秋田を代表する酒米秋田酒こまちのコラボ。秋田の若手蔵元を牽引する。

夏田冬蔵 純吟 吟の精

夏は田圃で米を造り冬は蔵で酒造り。吟の精とは25年前の秋田の主流酒米。これを同時期に全国デビュウして注目された秋田流花酵母AK1で醸す。4半世紀前の秋田流純米大吟醸。現在でも充分通用するゆえ古典足り得る。

千代緑 純米大吟醸 MS-3

秋田酒こまちと蔵つき酵母で醸す純米大吟醸。蔵付き酵母はこの蔵が昔使った伝統的酵母が採取されたらしい。落ち着いて重厚な風合いは当に千代緑である。

鬱蒼とした杉の森を髣髴させる。

6 Type XR

現代酵母のオリジン6号を超今風に使うとこうなる。あたかも白ワインの様な風合いと評判だが白ワインを超えて日本酒足らんと意気込みこそ立派。

これを如何に昇華させるのか新しい夜明けとなるのか。

人生には上り坂・下り坂・まさかがあるとは昔の総理大臣の弁。「まさか」ではなく「あらまさか」と言われる様になって欲しい。

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# by sasatatsu | 2017-08-19 19:29 | お勧め | Comments(0)

騙るな語れ

酒は毎日欠かさず飲んでいる。訳有って毎晩オスクリ(メイちゃん用語で薬)を服用する。服用の手引きにはアルコールとの併用はペケとある。しかし、当方の場合ペケをやらかさないと入眠出来ない。今更判ったのかと嗤われるが、『私は狂っている』に違いない。

飲めば酒のインプレはでる。必ず脳内で言葉にして見る。精神の開放時の飲酒でもインプレ文が浮かんでくる。職業病の類である。

だったらとっとと文書をアップすれば。

ソノトオーーリ(財津一郎)。飽きの来ない名CMとして国宝指定(ウソ)。

ここまで世間の言葉が軽いと自己嫌悪に陥る。かたる、は語るで、騙るでもある。

佐々辰のオヤジ、何をほざいている。に具体的な例を。

世界唯一の原爆被爆国だそうだ。熱線、熱波、熱風に曝され、放射能による放射線障害で多くの人が無くなり、70年以上経った現在も尚、放射線障害が残る。

これをヒバクと呼び「過ちは二度と繰返しません」と詫びる。

大きな河川の立派な堤防の端に石碑が立つ。碑文を読めば大水害で多くが死亡し、その後やっと堤防の改修が行なわれデンデン。

ヒサイとよび「犠牲者を二度と出さない」と誓う。

堤防の決壊は自然現象が発端で生活圏を守りきれなかったのは一部人災、と言ってもいいだろう。

では、ヒバクは天災か。事実はアメリカ軍による国際法違反の一般市民標的の虐殺行為であり、ドイツでなくジャップが標的となったのは明らかに有色人種に対する「人体実験」である。満州に於ける日本軍731部隊の人体実験と同次元である。

当方が子供の頃、夏休みの最も暑い時期だ。朝の8時を過ぎると家の中に居てもジワーッと暑く汗が滲んだ。そこに平和公園の慰霊祭実況TVであった。アジー。年端もいかない子供の頃から「過ちは二度と繰返しません」を刷り込まれてきた。

客観的にみれば国民を語りによって騙ってきたのだ。日米安保条約もしかり。あの強欲な国。歴史を見れば多くの先住民を虐殺し、いまもアジアや中近東で人殺しに励むそんな国が他国しかも有色人種のジャップを守る為に自国の軍隊を派遣する訳がない。

経済学の知識が無いゆえ憶測だが安保条約維持(関連がみそ)に使われた日本の財とアメリカのそれとを比べれば圧倒的に「貢いでいる」だろう。

少なくともヒバクと呼ぶ限りは精神的なアメリカ奴隷である。

言葉の重さと語り騙るを思う時、「これでええのんかい」と。

それでイーノダは、赤塚不二夫か。しんじまったな。


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# by sasatatsu | 2017-08-10 14:05 | いいたい放題 | Comments(3)

一升瓶2本組み

ブログは夏休みか、と尋ねられそうだ。当方、酒は毎晩利いている(呑むと表現しない所がズルイ

。)。当然インプレも出る。しかし、言葉に出来るまで熟成しない。

で、酒の内容ではなくて買い方の話だ

弊店の立地は太平山三吉神社の近くにある。由緒あるお宮さん故、正面参道に面して昔からの地元の酒屋さんがある。此処と比べれば弊店など「ケツの青い赤子」程度の歴史である。

お宮にお供えするお酒はこの店が一番便利である。蓋し一升瓶2本組みが標準だが持って歩くにはちと重い。がしかし、稀に間違って弊店へ

「お店やってますか?」から始まる。で、「ハイハイ何かお探しの」に「お酒の2本組み(当方のPC、日本汲みと誤変換)有りますか」

ここまで来ると神社の奉納用と察しが。

「ミヨシさんですか」に「はい」と。これに対し、

「すいません、そういうお酒は置いて無いので、向かいのスーパーで。箱が無ければ無地で宜しければ差し上げます。神社の入り口にもお店があります。」

「いやーその店がお休みで・・・・・。」

「そうですか、お車ですよね。5分も走ればヤマヤがあります。其処なら対応できますよ。」

お客様は呆れ顔でお帰りになる。

いわゆる地元の有名銘柄にして昔の1級酒(上撰とか言う規格にしてぎりぎりの本醸造)は置いていない。売れない(スーパーで安く売る)事もだが、狭い店の展示スペースに余裕が無い。

それにしても小売店なら「一升瓶の2本組み」は標準より値が張っても造れるだろう。たしかに、であるが。

奉納されるお酒の扱いをご覧になったことがあろうか。神殿前に狩人が獲物をひけらかす如く「奉献」「奉納」「御神酒」と熨斗の掛った酒が並んでいる。秋田の冬なら開放環境でも0度近い。がさすがに夏は30度を越える。しかも場所によってはお日様が・・・・。せっかくの「作品」がだいなしである。

余裕のよっちゃん商売ではない。都会の地酒屋とちがい明日の仕入れすら躊躇。清水の舞台から落下の気持ちで一升瓶10ケースの発注。都会の地酒屋はこの桁が違う。100ケースは珍しくない。チンケな商売だ。

お蔵が精魂詰めて出荷する「作品」を扱う責任として、出来るだけ美味しく飲んで貰うべく気を使う義務がある。

TVで宣伝するような有名銘柄の「上撰」もそれなりに美味しいだろう(この15年口にする機会がない)。しかしこれ等のお酒は神社の奉納にも耐えうるように設計してある筈だ。それが製造者としての責任である。矜持とも言えよう。

口に入れる食品の一種のお酒である。現代日本の市場にあるお酒はその保存処理を例えるなら「缶詰」といえる。この30年近くで「缶詰半生タイプ」とでも言うのか保存管理に気を使う日本酒が増えた。専門店が扱う「地酒」の多くがそれである。酔う本酒から嗜むそれへの日本酒文化の細分化とでも言うべきか。

結果として弊店のように不便な酒屋が出没する。


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# by sasatatsu | 2017-08-05 16:09 | 酒の売り方・買い方 | Comments(0)

アリの一穴

盛り掛け蕎麦の問題でマスコミのやらせだとかABキャビネットの公私混同だとか、果ては朝日新聞の偏向報道だとか、議論を混乱させて「訳ワカメ」と、昆布締めで美味しくいただこうがミエミエだ。

事実は簡単である。ABのお友達が偶然にも揃いも揃って行政の有利(に見える)な計らいを受けている事実が並びすぎている。

最も危険だと思う事例は、事の性質上だろうかあまり取り上げられないが、TBSの幹部記者だった山口某の準強姦事件である。被害者の訴えにより映像やその他物証をそろえ、裁判所に逮捕状の請求をし、逮捕状まで出た事件を、警視庁の当時幹部の一言でその執行が取り止めになった事である。執行停止を命じた当の本人の釈明らしき言葉もある。

逮捕状が出る法的意味は、犯罪行為が疑われその立証の為の証拠保全の必要があると裁判官が認定した事にある。逮捕そのものは司法警察による行政行為だが、司法判断前提の準備行為とも言える。更にお間抜けな事に山口某は週刊新潮からの当該事件問い合わせメールについての相談事を内閣情報捜査室幹部に発信する所を間違えて新潮社へ出してしまった。ここで警察幹部が「共謀」して逮捕状執行停止を実行したと言う明白な疑義がでた。

問題は本来公開法廷で犯罪事実の有無を審判さるべき事案を司法警察の幹部にしてABの側近がゴニョゴニョした事。そしてその事件の被疑者がABのヨイショ記事を書いた俗に言う「提灯もち」と言うべきブンヤだった。

時の権力者のお友達なら極めて公正かつ透明であるべき身柄の拘束という司法過程を事実上(ここがミソ!)捻じ曲げる事が出来ると国民が疑ってしまった事はとても危ない。

日本の司法などはオザワン事件よりもっと前の田中耕太郎最高裁長官のアメポチ(この国が正しく発展すれば必ず司法汚職事件として歴史教科書にかかれるであろう)事件で褒められた物では無い事が明白である。しかし百歩譲って東西冷戦が熱くなりつつある「非常時」と政治的「忖度」は出来よう。

しかし、提灯もちブンヤの下半身問題が国のセージに影響あろうか。この国の指導層は自分達の為に(私的利益)法を曲げる事がやっぱり普通だと国民が納得した時が怖い。時代劇でやる「越後屋おまえも悪よのう」は正義の味方が出てジ・エンドだ。しかし、同じ事が現代においても劇ではなく事実と、限りなく黒い白とすると。米国の西洋歌留多出現を嗤えない。

ぶっちゃけて言えば逮捕状の執行がその権限者の恣意に委ねる事が可能なら、コマワリ君よろしく「シケー」が簡単に出来る。

まさしく『アリの一穴』だと。狼少年のホラごとだと良いのだが。


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# by sasatatsu | 2017-07-16 18:07 | いいたい放題 | Comments(2)

ころんだ

当方は障害者である。子供の頃からの記憶をこの齢になって振り返ると、ある種の人格障害(個性をこえて社会的適応性に不都合)でもある。当方を昔からご存知の向きは「何を今更」とあきれた表情だろうが、だから人格障害なのだ。

まぁ、この事は今まで主に当方とお付き合い願う皆様の有難い「忖度」によって世渡り可能だった。と、有難い。

生活するうえで毎日直面する不都合は左側上下肢の運動機能障害である。これはその当事者となって初めて理解できたことである。例えば健常者が歩く時、右足を出して、次左足、重心移動はひざの屈曲で余分な入力なしに結果する。等と考える事無く動いている。所が片麻痺の当方、例えば狭い所を半身になって蟹歩きで移動、と言う時、危ないのである。先日も不意に横へ倒れてしまった。「転んだ」のだが事前の意識なしに転ぶことの恐怖が理解できた。スポーツをしていればバランスを崩して転倒はその行動内に織り込み済みである。つまり不意の転倒はない。

ところが歩行は人間にとってほとんど無意識である。片麻痺の当方はその無意識を意識しないと移動できない。正対して歩く、後退は訓練するが、狭い所を半身で横歩き等は訓練しない。当然に当方の意識は健常者の頃のそれで無意識に麻痺の有る左足に重心を置き蟹歩き・・・を始めた瞬間、体がひねられながら倒れた。一瞬周りの光景がクルリと廻りナニゴトが、と思う間もなく右手がダンボール箱へと突っ込んだ。このお陰で衝撃が和らいだのだろう手首が少々痛いですんだ。無意識の所作を意識しないと正確に出来ない事を、こうして覚える。

それをやり切る頃には事故死の可能性の方が大きい。何がなんだか判らずに気がついたら転んでいた。これに近い経験は、アイスバーンでハンドルを取られ対向車に突っ込んだ瞬間に近い。What’s happen?とばかり、一瞬だが記憶が消える。半世紀以上生きて来ると色々体験するものだ。

普通に生活できる環境で普通に生活できない、と言う事が主観的障害とする。では客観的障害とは。例えば東京の混雑時のエスカレータにおける当方の存在が象徴する。二人が並べるエスカレータの右は急ぎの御仁用が歩行できるように停止しないのが、東京に於けるデファクトスタンダード。当方は左側が麻痺しており右手でエスカレータのベルトを掴まないと安全に乗れない。エスカレータに余裕のある時は右側に乗ってから左へと「イザル」。だが混雑時にはそれは出来ない。右に乗ったときには既に左に人がいる。かといって右側を登攀するのは難しい。エスカレータの流れに於ける「障害」である。極力都会の混雑時を外すか止むを得ない時はエレベータを利用する。ホームの便利な所には設置されていない。と言う感想は「ゼータク」の謗りを受けよう。

転んでみて(身障者になって2度目)「障害」をあらためて考えた。

障害者対策をエーゴで「ノーマライゼーション」と言うらしいが、「ノーマル」の意味によっては別物になる。良し悪しの問題では無く、小泉改革以降とりわけ言葉が空疎になったこの国を考える時、横文字で「ノーマライゼーション」は

内実(即ち原語の使用地における実体)があやふやなまま使われると「怖い」。

当方が中学生の頃、半世紀も前である。国鉄(いまのジェーアール)が一等客車二等客車を止めて、グリーン車と普通車へ呼び名を変えた。自慢では無いが60年生きて来て一等はもとよりグリンすら利用したことは無い。言葉だけで「ゼータク極まりなし」と心にブレーキがかかる。

言葉というものは怖いのだ。


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# by sasatatsu | 2017-07-16 14:21 | いいたい放題 | Comments(0)